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あら浪 第七十二回 黒い塊

不木生

「ヂーツ、ヂーツ」といふ虫の声も聞えて月は見る間に一竿(かん)ばかり昇つた。
 彼方(むかう)側の河岸(かし)の家が、墨の様な臨画を顕はして、月光に気持よく浴びた、隅田川の流れは益(ますます)早い様に見えて、余波はぴくゝゝ(※1)と船板に衝突(ぶつか)つた。
 船頭は依然、船を出さぬ。
「船頭さん、誰かを待つて居るのかい?」
「もうこれで最後(おしまひ)ですから、来る人があると悪いで……」
「ふむ」と頷いて、見れば男は三十前後である。
 手拭を腰の帯の間に挟むだ様子から見れば、船頭が本職でもなく、また渡守(わたしもり)で渡世をするのでもないらしい。
「お前さんはこれが商売か?」
「これは村の人が代り番に勤めて、村の者は皆(みん)な百姓をして居ます」
「そうだらう」と肯んじ、「一たいこの辺の収穫は如何(どう)か?」
「平年だと、八俵もありますが、去年の様な不意な事がありましては」
「去年はどれ位だつた?」
「まづ、平年(いつも)の半分にも当りませぬ」
「左様(さう)か、あんな事は無い様にしたいものぢや」
 薄ぼんやりと美(うる)はしく、水の面(も)を辷つて来る冷たい風が、中々気持がよい(。)(※2)
「和尚様は、たゞそうやつて、諸々方々を御巡遊(おめぐり)になるばかりですか?」
「左様!」
「どうでした? 世間の様子は?」
「そうさ、先づ一概には豊年であつただらう」
 此の言葉に頓着せぬかの様に、
「和尚様は、御子供衆でもありますか」
「いや、妻も子もない」
「それでは親戚の方でも?」
「有るは有るが離れて居る」
「そうですか、けれどまあ、御身体が達者の様で……」
「御蔭で、十年此の方、一遍も病(わづら)つた事がない。」
「結構で御座います」
「旅を廻つて歩くと、身体は益々無事(まめ)になつて来る。」
「そうかも知れませぬ。身体を動かさぬと私共でも何処(どこ)ぞ彼(か)ぞ、病(わる)くなつて来るので御座います」
「お前さん達でもやつぱり左様か?」
「健全(まめ)で働く程、目出度い事は御座りませぬ!」
「なる程!」
 働らいて、糊口に資し、汗を以て飯に代へる生活でも、見様によつては目出度くなる。これを聞いて見れば、今の所謂青年は無闇に功名心に駆られてちと贅沢過ぎるのである。
 一反を耕作して、収穫米を俵に入れる迄に、二十六人七分の人足が要る。即ち一町歩で二百六十七人、即ち健全な一人が、係り詰めにして、二百六十七日を費すと、八十俵の米が得(と)れる。小作人なれば掟米に四十俵を納めて、残る所四十俵である、而して、一年に二百日働き得る者は、百人に一人である。かうして計算すると、人生那辺に其(その)意義を留むるかを疑はざるを得ない(。)(※3)
「今晩は是非泊つて下さい」
 待つて居ても、来る人は無かつた。
「もう出しませう」と言つて立ち上つた。竿を水中に投じて、ぐつ(※4)と押せば紋を描(か)いて舟は岸を離れた。
 がらりと今度は竿を投げて、艪と握り変へると、ぎーゞゝ(※5)の音と諸共、船は最中(まんなか)に来た。
 突然流上(※6)(ぜうりう)から、黒い大きい塊が、見えたり、隠れたりして近づいた。
「人間の様だ」と船頭は叫んだ。
 諦覚(ていかく)は驚いて振向いた。

(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)(※3)原文句読点なし。
(※4)原文圏点。
(※5)原文の踊り字は「ぐ」。
(※6)原文ママ。

底本:『京都日出新聞』明治44年5月15日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(リニューアル公開:2009年3月16日 最終更新:2009年3月16日)