かの男と別れて、諦覚(ていかく)は唯一人、急がぬ旅を、■■(※1)(たつたつ)と、東京へさして来た。途中彼は色々の事を胸に描いて、考へるともなしに、走馬燈(そうばとう)の様な変化の多い人生に思ひ及んだ。
日はもう暮れて了(しま)つて、遙かに高い煙突の尖端(さき)から、夕暮の煙が、うねうねと靡(なび)いて、雲に連なる姿が面白う。(※2)鯨の様な形をして居るかと思ふ間も無く、蟇(ひき)の様な風に変つて、黒いのが稀(うす)うなつたり、白いのが千切れたりして、雲は巧妙に天然の画筆を揮つた。
夕風は遉(さす)がに気持が好い。昼間の生活に疲れた万物を、宥めるかの様に飽く迄心地よく吹き渡つた。道端の草がそよゝゝ(※3)と揺れて、廣い田面には人影も見えぬ、空には星の色が一秒毎に増し輝いて、夕やけの色は名残惜し相に消えて終(しま)つた。
彼は堤塘(つつみ)の上に来た。このあたり、人家が点在して、時々ごーつと汽車が通つて行つた。■(※4)(しず)かさは至極であつて、草は背丈に伸びて居た、芒(すすき)の葉であらうか、頬に触れて、歩むで行く内にも道の窮まる所を知らなかつた。
俗な音には違いはないが、尺八の遠音が耳に入つた時、只管(ひたすら)、其の方に気取られて了(しま)つて、諦覚はなほも耳を欹(そばだ)てた。曲は而(しか)も追分節で、其の以前、若い時分に、色々の端唄を稽古した事が、宛然(さながら)思ひ浮べられた。三味線に弾き合せて、酒肉の場で聞いた砌(みぎり)と比較して、彼は有為転変の習(ならひ)に、感嘆して居た。
或は細り、或は太りて、潔く鼓膜を振動せしめた。心は何時の間にか、凝り固まつて、歩むともなく、歩むで行くと、ぱつたりと音は止むだ。
倏(たちま)ち「かあ、かあ」と二声、夜鴉(よがらす)が蹴たゝましく諦覚の頭上を通り過ぎた(。)(※5)「鴉が啼く! 好(よ)い兆候ではない」と考へて、更に又、今宵若し身投する人でもありはせまいかと突然(いきなり)、胸に閃いた。か様な人が、今の笛を聞いたならば、如何(どん)な気になつたゞらうかと、詰らぬ考(かんがへ)に取越苦労も禁(や)められなかつた。
水がざわゞゝ(※6)と流れて、汀(みぎは)を洗ふ音ばかりが、逝く春を憂(かこ)つ泣き言(ごと)かとも察せられた。これが名に負ふ隅田川の上流である。
尾久(をぐ)村は彼が幾分か馴れた土地でもあるから用捨(ようしや)なく進んで行くと、笛の音は再び響いた。同時に川の方から、気持のよい歌ひ声が手元に起つた。見れば岸に繋いだ小舟の艫(とも)に、一人の船頭が櫓をば小脇に掻(か)い挟んで、腰懸け乍ら歌つて居た。
此所(ここ)が夫(か)の尾久の渡し場であるから彼は彼岸(むかう)へ渡らうと決心した。
其の時三分の一ばかり虧(か)けた月が、東の空から顔を出して、夜目をくつきり(※7)鮮かに為した。諦覚は坂を降りて、船に近寄つた。
「船頭さん、頼む!」と言つて打ち乗つた。
かぶり(※8)と舟が、上下(ぜげ)に揺れて、船頭は唄を止めた。舷(ふなばた)に尻を据えた諦覚の姿を、異様な眼(まな)ざしで見て取るや、
「この遅くから、和尚様は何処へ御行きですか?」と平気な声で尋ねた。
「別に何処といふ目的はないが、泊めて貰へる家(うち)さへあれば、其処で御厄介になるのぢや!」
「そうですか」と言つて、依然腰を掛けた儘である。
「私の家(うち)に来ませぬか?」と気軽な調子で言ひ放つた。
「差支(さしつかへ)が無ければ、誠に幸福(しやはせ)ぢや!!」
「ではそうなさい!」
(※1)(一文字目)足偏+「龍」、(二文字目)足偏+「童」。
(※2)原文ママ。
(※3)原文の踊り字は「く」。
(※4)もんがまえ+「貝」。
(※5)原文句読点なし。
(※6)原文の踊り字は「ぐ」。
(※7)(※8)原文圏点。
底本:『京都日出新聞』明治44年5月14日(第4面)
【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」
(リニューアル公開:2009年3月2日 最終更新:2009年3月2日)