読み終つて、篤司は慨然として腕を拱(こまね)いた。あはれ、雪子は愈(いよいよ)、死を決して、家出をしたのである。身投をするであらう事も明かに推察する事が出来た。「もう駄目だ」とも思つたが、直様、小間使を、警察に走らせた。
ひらゝゝ(※1)と翻る長い遺書(かきおき)を、拡げた儘膝の上に置いて、凝乎(じつ)と見入つて深く考へた。
柔和(やさ)しくして狭い心根が、遂に世を果敢なましめて、死ぬる覚悟を決める迄も、皆自らの致す所と譲つて、若い一生を魚腹に葬らしめ様とした雪子の胸中が推し量られて、篤司は同情の涙を禁ずる事が出来なかつた。
かくなる事も無理はない、思ひ余つて、死を決するは、雪子に取りては道理である、からして愈(いよいよ)、雪子の心中が哀憐(あはれ)である、あゝそれにしても、棄てては置けぬ。死なしてはならぬ。助けたい、救ひたい。加之(しかのみならぞ)、雪子が死んでは藤枝家が断絶する、何(ど)の方面から見ても、かうして居坐つては居れぬのだ、けれども警察の手に頼るよりの外はない、自烈度い、何かよい工夫はないかと焦心(あせ)つて居る砌(みぎり)、表戸に人の声がした、
「御免下さい、御免下さい!」
「誰であらうか」と心で呟き乍ら、表口まで行つた。
「御免下さい」と尚も続けた。
「どなたですか?」
「藤枝勝清様とは此方(こなた)ですか」
「左様です」
「雪子様といふもそうですか?」
「何か御用ですか?」
「暫らく御免を蒙ります」といつて、戸口から入つたは、洋服の紳士一人。
「一たい、何方(どなた)ですか?」と篤司は不審相に眺めて尋ねた。
「私は井上時雄と申しまして、雪子様の実の兄に当るもので御座います」と声に力を入れた。
今にも雪子が飛び出て来るであらうと心待ちにしても、家には人一人居らぬ様子、想像が正反対に出でゝ、時雄はがつかりして了(しま)つた。けれどもこれこそ、雪子の住むで居る家だと、突嗟の間にも、感慨が逆上した。
篤司は時雄の父と生前懇意であつたが時雄の事に就てはあまり好く知らなかつた。けれども井上時雄と聞いて見れば遉(さす)がに、懐かしい様な気がした。
今が今、遺書(かきおき)の中(うち)に、生死もわからずと雪子の書いた其の人が、現在此■(※2)(ここ)へ尋ねて来よう事の不思議さにたゞ胆を潰して、
「私は藤枝勝清の叔父に当るものであります」と時雄の言葉に鸚鵡返しだ。
「雪子さんは唯今御宅で御座いますか?」と気遣はし相に尋ねた。朝鮮から来る途中、妹は何かの危害に罹つて居る様な気が、頻りに浮かんで居た所へ寂し相な家の中の体裁やそわゝゝ(※3)した篤司の振舞に気附いて、不安の念がむらゝゝ(※4)と起つた。
「貴方に、是非御話し申し度い事が御座います!」
「それは何ですか?」と驚いた。
「兎に角、上つて下さい。」
洋傘と帽子とを上り端(はな)に置いて、靴を脱いで上つた、奥の室(ま)に来て、篤司は今の巻紙を無雑作に折り畳んで、そして坐蒲団を薦めた。
「此方(こちら)の御主人も飛(とん)だ御災難で……」
「貴方は御存じで御座いますか、誠に意外な事で御座いました」と篤司の言ふ声は沈着(おちつ)かなかつた。
雪子が愈(いよいよ)、居ないのに時雄は太(いた)く気が揉めた。
(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)原文一文字判読不能。
(※3)原文「そわ」に圏点、踊り字は「く」。
(※4)原文の踊り字は「く」。
底本:『京都日出新聞』明治44年5月12日(第4面)
【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」
(リニューアル公開:2009年3月2日 最終更新:2009年3月2日)