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あら浪 第六十八回 雪より

不木生

 取り急ぎ候まゝ乱れし筆もて(※1)、書き置くも心狂ひて、思はぬくり言のみ、胸に浮み出で、遣る世なき歎きは泉の水と湧き溢れまうし候。歎きあまりては苦しみ、苦しみ余りては怖れ、今は一刻をながらへ候事のうら恐ろしく、今宵是非なく死を決しまうし候。
 他人の身投なんど聞き候ひし以前はたゞ不憫よとのみさのみ心に懸け候はざりしに、今は眼(ま)のあたり、我が身の阻道にさし控へて、不覚(そぞろ)に運命の不思議なる操りをかこつより外無之(ほかこれなく)候。骸は消えて形(かた)は土と化し候も魂は永く永く幽明の境を往復致すべく、なほゝゝ(※2)世を果て候も、更に更に心残りは候はず敢へなくなりけむ暁とても影は何時(いつ)迄も滅せざるべく候。
 如何(いか)なる深き縁(ゑにし)に候ひしや、叔父上様には(※3)きて御世話様に相成り、海山(うみやま)に譬へ難き御恩にあまへて、更に亡き跡の御取計らひをも頼み置きまゐらせ候、日頃の御訓言に背きまゐらせて、死出を急ぎ候事、幾重にも申訳之なく候へ共、女子(をんなこ)の常として、一たび拙なき心を起し候上は、立居につけて思ひ詰め、思ひ極まり候ては、つひに果敢なき行ひに及びまうし候、
 か様に相成(あひなり)候事も皆自らの致す所に外ならず候て、誰一人恨み申す者も無之(これなく)、たゞ一分も早う彼の土にまゐり候て、妾(わらは)を待ち侘び玉ふ父上母上に御目もじ申上たく候。
 誠に淋しう此の世に生ひ立ち候て、今また、只一人寂しう死出の山路をさまよひ候ことの、何となう得たえぬ様に思はれ候へども憖(なまじ)ひに生きのびて、苦しき日数(ひかず)を費さむよりも遙かにまさり候と存ぜられ候。
 しか申し候ものゝ、腹に宿れる子の事を考へ候時は、げにも腸(はらわた)を八裂(やつざき)にする程心苦しく御座候、まことに母となり子となる事は劫初(がふしよ)よりの深き因縁とぞ聞き及び候に、罪もなき実の子を未だこの世の風にも触れしめずして、其儘闇より闇へと送り遣る所業(しわざ)の、思へば鬼にも蛇にも比べ難き恐ろしき心根に御座候。さん候へども、諺にも申候通り、背に腹は易(か)へ難く、父なき嬰児(みどりご)を抱きてうき世を過し候べき事は、妾(わらは)にとりては剣(つるぎ)の山を渡るよりも堪え兼ぬべく、母たり子たるの契(ちぎり)ありとせば、或は冥路(よみぢ)の道伴(みちづれ)ともとあだし心を鬼となし、熾(さか)りなる煩悩を押へて、身歿(みまか)る覚悟を定め申し候(。)(※4)
 唯一つ心残りの候は、妾(わらは)が兄上の御事(おんこと)に御座候、同じ腹より血を分けて、同じ此の世に生ひ立ちながら、妾(わらは)が未(ま)だ定かに物心つかぬ時頃より相離れ候まゝ、二十年の星霜を何の消息もなく過し申候。兄上若しましまさば、妾(わらは)もさまで心を狭め候はざりけむものを、兄上の生死も相(あひ)判らず、迫り来(きた)る感情に動かされて、やむなく身を死神の手に委ね申候へ共、兄上死してましまさば彼の世にて御目にかゝり得る事に候はむ、なれども若しや生きてましまさむには、妾(わらは)の事ども、たえず思ひたまへば、妾(わらは)の先立ちて死せしと聞しめす時嘸(さぞ)かし怒り歎き玉ふらむと夫(それ)のみ心残りに御座候、何もわが計らひにては致し難く、たゞ身のなり行く儘に委(まか)せ候より詮術(せんすべ)も御座なく候。
 大恩を蒙り奉りし叔父上様に反向(そむ)きて、女心の浅墓(あさはか)にも、是非分別も弁(わきま)へず、徒(いたづら)に屍(かばね)を曝し候事の返す返すも不束(ふつつか)なる心根には候へども、群がる妄念に駆られて、執心已み難く、空しき一徹を守りて儚なき露の生命(いのち)を相果て申すべく候、何卒、何卒無(なか)らむ後の始末、呉々も篤く御願置(おんねがひおき)まゐらせ候(。)(※5)
 涙に手は打顫(うちふる)ひて書きたき事の万分の一をも尽し申さず、残り多き筆をここに擱(さしお)きまゐらせ候、何卒御身大切に成し下され候て、幾千代までも栄え給はむ様、草葉の蔭より、神かけ祈りまゐらせ候
     かしく
 月 日         雪より
 御叔父上様まゐる

(※1)原文判読不能。
(※2)原文の踊り字は「く」。
(※3)原文判読不能。
(※4)(※5)原文句読点なし。

底本:『京都日出新聞』明治44年5月11日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(リニューアル公開:2009年3月2日 最終更新:2009年3月2日)