インデックスに戻る

あら浪 第六十六回 無言で左右に

不木生

「其方(そなた)の言ふ所も当然だ、けれども、たとひ其の娘に逢つて、謝つたところが、その子が受けた傷は取り返しが附かぬ訳ぢや、その女(こ)が再び通常(つね)の境界に立ち帰つて居たら兎も角、益(ますます)悪い方へ沈んで居たなら、一層首綱が殖える(。)(※1)罪は罪としてどんなに足掻いても消ゆるものでは無い。そこで、無明業障の恐ろしい病の治るのは偏へに弥陀の誓願によるより外はない。」
「どうもまだ迷つて居るので御座います」
「迷つて居ると自分で気が附いたら、それが宿善開発の時ぢや、もう此の娑婆に生きて居る時も残り少なになつたのぢやから、出る息、入るを待たぬ習(ならひ)(、)(※2)無常の風は何時吹いて来ようにも限らぬ。其方(そなた)は、息子の仕打を怨む訳もなければ、今更其の女に詫ぶる必要もない。たゞ心が肝要ぢや、心は五根の主だと言つてある。其れ迄に其方(そなた)が悔悟して居れば、其れで好い(※3)
「そうで御座います」と軽く点頭(うなづ)いて「かうして歩いて居ますばかりでは、迚(とて)も逢へるものでは御座いませぬ。十年の余(よ)も経ちまして、私もこの通り、顔も姿も変つて居りますで、道で摺れちがつても知れませぬ。」
「それで其方(そなた)は、岡山の方へ帰つたことがあるか?」
「恥かしくて参られませぬ」
「故郷(くに)の方にはまだ家が建てゝあるか?」
「もうすつかり御座いませぬ」
「その娘は今でも岡山に居るのぢやな?」
「いえ、私が家を了(しま)ふ頃には、もう何処かへ行つた後で御座いました」
「左様か」と暫く間を置いて(※4)
「何にしろ、十二の頃から其の様な目に逢つては、嘸(さぞ)や、惨(むご)い世渡りをして居る事だらう。」
「それを思ひますと愈(いよいよ)、私の身が悔しう御座ります」
「無理もない事だ。けれど、今になつて、言つて後(かへ)らぬ事だ。」
 二人は倦(ものう)さうに啼く鳥の声に耳を傾けた。
 世の中は区々(まちまち)である。
 一箪の食、一瓢の飲(いん)も欠けて居る乞食(こつじき)の生活である。他人に物を乞ふ程、辛い事はない。僅か一文の銭でも、呉れる人の心を言へば、生爪を(※5)(も)ぎ起すよりも太儀(※6)であると譬へられて居る。其の生活にも甘んぜざるべからざる境遇かと、諦覚(たいかく)は、不覚(そぞろ)に不憫の情を醸した。
 同じく流浪の生活であるが、行脚の世渡りと、乞食(こつじき)の日送りとは全く別様である。何(いづ)れも皆、自分が編むだ運命である。して見ると僅か数時間の会話にも、限りなき運命のパノラマが、諦覚の眼の前に陳(なら)べられた。
「御互(おたがひ)に此の先、迷つてはいかぬ、よくよく覚悟をして、心を外(よそ)へそらさぬが肝腎だ。過ぎた事は何と言つても取り返しがつかぬ話ぢや、他人の身を気遣つて我が足元に迂散であつては、飛んだ破目に陥るものぢや!」と顋(あご)の鬚を撫でゝ、「手前もこれから、東京の方へ行く心積(つもり)ぢや(、)(※7)今日はこれで御別れをする。」
 拝殿は斜(ななめ)に日を受けた。松は両側から門をなして、奇(めづ)らしい枝が、蒼う、寂びて居た。閑静な土地だ!
 乞食(こつじき)も立つた。二人は出懸けた、薄黒い破れた布を纏つた姿と、墨染の衣を整然(きちん)と着た形とが、打ち並んで松の下を通つた(※8)
「和尚様(をせうさん)は今晩何処で御泊りになります?」
「手前は、行く先が宿ぢや!」
「羨ましう御座います!」
 辻の所へ来て、無言で左右に別れた(。)(※9)

(※1)(※2)原文句読点なし。
(※3)(※4)原文ママ。
(※5)手偏+「宛」。
(※6)原文ママ。
(※7)原文句読点なし。
(※8)原文ママ。
(※9)原文句読点なし。

底本:『京都日出新聞』明治44年5月9日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(リニューアル公開:2009年2月23日 最終更新:2009年2月23日)