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あら浪 第六十五回 賞罰は覿面

不木生

「それで其方(そなた)は、其の預かつた子を酌婦に売り込んだといふのか?」と諦覚(ていかく)は念を入れて尋ねた。
「左様、僅かの金銭(かね)に目が暮れて、誠に申訳(まをしわけ)のない事をして了(しま)ひました」
「其の子が罰(ばち)を当てるといふではないが、其方(そなた)が作つた罪が、其方(そなた)に罰(ばち)を当てたのぢや、誰一人怨むこともなければ、誰に愆(あやま)る必要は無い。」
 涼しい風が砂の上を掃(はら)つて来た、田面(たのも)が一目(め)の内に在つて、青い稲葉がそよそよと靡いて居た。
「自分の実の息子にまで捨てられて了(しま)ふ様な目に逢つたので御座います、倅も其の娘も何処で如何(どう)して暮して居るのやら、二度と逢はれる日は御座いませぬ」
「其方(そなた)は誰にも逢ふ事は出来まい。其方(そのほう)の預かつた娘を待遇(あしら)つた通りに其方(そのほう)の息子に待遇(あしら)はれたのぢや(。)(※1)親の蒔いた因(たね)が子に報ゆると言ふが、其の通り親の作つた罪を子が罰するといふ場合もあるのぢや、けれども其方(そなた)の息子も好(よ)い芽は萌(ふ)くまい。苟且(かりそめ)にも実の父を棄てるといふ不孝者が世にあらふか、なる程観経といふ御経(おけう)の中には劫初(ごうしよ)より以来、父を殺すもの八千人、母を殺す者は未だ無しとは言つてあるが、父を殺してよいとは何処にもない、五逆罪には「父を殺す」事が第一に数へてある(、)(※2)同じく観経の中に顰婆娑羅王(びんばしやらおう)が過去世(かこよ)に於て、罪の無い仙人を殺した報ひに其の子の阿闍世王(あじやせおう)の為に七重の室(むろ)に閉ぢられたといふ話がある。今其方(そなた)は過去世(かこせ)ではなく、現世で、罪もない少女(むすめ)を苦界に抛(なげう)つたが為に、僅か十年経つか経たぬに、その様に苦労するのぢや(。)(※3)賞罰は覿面(てきめん)であるとは誠に其所(そこ)を言つたものぢや」
「かうして余所様(よそやう)の門口に立ちまして一文づゝ貰つて居りまして、やつと飢干(ひぼし)を凌いで生きて居りましても、苦しい思ひの絶えた日はたゞの一日も御座いませぬ」
「苦しくなくて如何(どう)あらう。何の煩累(わづらひ)もなく生きて居てさへも、此の世は苦の娑婆ぢや、中には随分悪い事をしても、立派に暮して、見た所幸福(しあはせ)な風で居る人もあるが、其処ぢや、思ふ様に行かぬのは。けれど何時(いつ)かは、報ひがある」
 乞食はたゞ俯向いて居た、
「けれど一たび悔悟すればそれで好い(、)(※4)消えたも同じだ、罪は決して消える物ではないが、今迄の心を悔悟して、弥陀を頼んだら、弥陀は大悲(だいひ)の光明を放つて、其内(そのうち)に収められ、呼吸(いき)が切れると其儘(そのまま)、仏となる事が出来るのぢや、其方(そなた)ももう、この娑婆では迚(とて)も、よい事は望めぬ。只管(ひたすら)に今迄の行(おこなひ)を悔ひて早く、弥陀の袖に縋る覚悟をせぬと、永劫が間、阿鼻地獄で苦(くるし)まねばならぬ。」
「私はもう、早う後悔して居りまする」
「懺悔の為には血の涙を流すといふ事もある。真底から悔悟すればそれでよい。罪は如何程(いかほど)深くとも、其(その)機のなりで往生が遂げられるのぢやから、其(その)心さへあつて念仏を唱へたらばよい。其方(そなた)も大分年を取られたのぢやらう。もう一日で譬へるなら、暮れ方ぢや、死ぬ覚悟が肝要で御座るぞ!」
「はい、御道理(ごもつとも)さまで御座います、有難う御座います、けれど私はどうしても一度、預かつた娘に逢つて私の罪を詫びたいと存じます、さもなくば死んでも死に切れぬ様に思はれますので………」
 田舎には寸分も、活動といふ事がない。まだ春めいた様子も見えるが、吹いて来る風が腋下(わきか)を掠めて気持が好い。
「どうも一度逢はないと気が済みませぬ。息子は死んで居つても管(かま)ひませぬが、娘だけには是非逢(あひ)たう御座います」

(※1)(※2)(※3)(※4)原文句読点なし。

底本:『京都日出新聞』明治44年5月8日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(リニューアル公開:2009年2月23日 最終更新:2009年2月23日)