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あら浪 第六十四回 是心是仏

不木生

 一衣一鉢の財産、一笠(りつ)一杖の旅装(りよそう)、井上諦覚(たいかく)は御風(ごふう)の生活に、昆布の様な鬚を養つて居た。
 大千世界を一尺二寸の脛にかけて、観ずれば世は寂光の刹土(さつど)、過去未来現在の三世の業障(ごふせう)を後(しり)へに跳ね返して、是心是仏、是心作仏、瑜珈三密の行法は為(し)ないが、心は風よりも軽く、水中の月よりも清らかである。
 一たび濁流の中に混り込むで、身を糞尿に汚した彼は、豁然(かつぜん)、悟(さとり)の道に這入(はい)つてから、今に至るまで、梢の音、(※1)(せせらぎ)の響(ひびき)に、念仏の修行を怠たらないのである。荘周が夢に胡蝶と化した。而して荘周が夢に胡蝶となつたか、胡蝶がこの世といふ夢に荘周となつて居るのか、更に其(その)判断に苦しむのである。
 然れども、この娑婆世界に、凡夫として在る限りは、貪欲、瞋恚(しんゐ)、愚痴なる三毒の煩悩が、火の如く各自の中(うち)に燃えて居る。木魚を叩いても、乃至(ないし)百八の珠数を爪繰つても、仏かねてしろしめして、煩悩具足と仰せられたるからには、飽く迄、この世の縲紲(るゐせつ)を免れる事が出来ないのである。
 妻子も無く、財宝も持たぬ諦覚は、飛ぶ鳥、泳ぐ魚(うを)の様に気楽であつた、春が来、夏が来、秋が来、冬が来て、彼は飄然(ぶらり)と彼所(かしこ)に顕はれ、復(ま)た飄然(ぶらり)と此所(ここ)に隠れて、「人間到処有青山(にんげんいたるところせいざんあり)」も時に場合に適当(あてはま)るもの哉!
 諦覚は諸国を廻つて行脚の旅に暮した。嘗て朝鮮にて、ゆくりなくも時雄に逢つた折、彼は沁々(しみじみ)と血縁の有難味を感じた。なれどもあの際、あまりに呆気なく袂を別(わか)つた。といふのは時機の到来を待つたのである。彼は直様(すぐさま)引き返して谷中の墓地に来て先祖や、兄の霊に告げようと思つた。其の時、自分が参詣しようと思つた墓の前で、久敷(ひさしく)見なかつた兄の娘を見た。それから雪子が藤枝の家に嫁いで居る事も知つた。
 彼は早速時雄に報らせ度く思つた。生きて居れば、その内に逢へるものだと言へば言ふものゝ、現在自分の実の妹にもよう逢はず、生死も判明(わか)らずに只管(ひたすら)慕つて居る時雄の心中が推察せられて、彼は時雄に手紙を出さうと決心した。有漏路(うろぢ)に彷徨(さまよ)ふ限りには、始終俗気は離れ得ないのである(※2)
 彼は勿論長い手紙を書く事を欲せなかつた。詩なり歌なりに其の意を寓せようかとも考へたが、真意の在る所に従つて、簡単に事実を報ずべく決定した。
 児戯に値する文を以てするは、内心好ましくなかつた。乍然(しかしながら)、手紙はもと相手を目的のものである。飢えたる人は却つて美味を欲するものではない。かくして時雄に一葉の信書を飛ばしたのである。
 勝清(※3)には手紙を出したけれども、雪子には決して報ぜなかつた。それ故雪子は何物をも知らなかつた。
 東京を去る約一里東北、ある神社の境内に諦覚は来た。拝殿に腰打ち懸けて語つて居るのが、諦覚と今一人の男である。
 初夏とはいへど照る日は熱さを齎(もた)らした。松蔭の涼しさを選んで、惜気もなく光陰を見棄て、話は身の上に移つて居る様子。
 諦覚の話し相手は一人の乞食(こつじき)である(。)(※4)今この拝殿の一部を藉(か)りて、昼寝をして居たのである。黒白の長い毛が、顎にも頭にも伸びて、一本の太い竹を傍(かた)へに横(よこた)へた。
 嘗て塩原で雪子とお清とが恐れ戦(わなな)き勝清が蟇口から銭を与へた其の同じ乞食(こつじき)であつた。

(※1)「鄰」の右側が「おおざと」ではなく「まがりがわ」。
(※2)原文ママ。
(※3)原文ママ。「時雄」の誤りか。
(※4)原文句読点なし。

底本:『京都日出新聞』明治44年5月7日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(リニューアル公開:2009年2月23日 最終更新:2009年2月23日)