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あら浪 第六十二回 近藤の運命

不木生

「近藤さんが日本へ行くと被仰(おつしや)つて、私にも是非来いとの御話で、私も御伴する様に定(き)めましたが、実は私はどうしても六さんと別れるのが辛う御座いましたから、六さんも一緒に連立つことに致しました。」
 これは大村も、井上も嘗て想像した通りである。近藤の運命が愈(いよいよ)、さし迫つて行く話になるので、二人は我を忘れて芳江の言ふ所に耳を傾けた。
 かゝといふ鳥の啼声に、真島巡査は顔を挙げた。夜は上(いや)が上に静かさを積んだ。
「道々、近藤さんが、どうしても夫婦になつてくれと仰(おほせ)になつたのですが、私も六さんとは深い約束が為(し)てありましたから、近藤さんに内証で、一つ汽車に乗つて居た六さんに話すと、六さんも大辺(たいへん)に心配して、どうしても自分とは離れて呉れるなとの注文でありましたし、私も素々(もともと)其の心で御座いましたから、可愛い可愛い六さんの為に、岡山で一泊しました時、酒を召し上つた後で、無惨にも殺して了(しま)ひました……」
 此の時大村は夢を破られたかの様にむらゝゝ(※1)と憤怒の情が燃えて、
「そして行李の中へ詰めて、警察へ送つたのぢやな?」
「はい」
 六さんと共に近藤を殺して、汽車で明石まで行つて、それから世間の騒擾(さうぞう)を喚び起さしめたのである。
 六さんは決して、人を殺す程の人物ではなかつた。何処ともなう、同情を引く様な性質(たち)であつて、芳江も始めは其の点に吸ひ附けられたのである。そして六さんを大きな気にしたのは偏にこの芳江であつた。芳江は六さんを歯(※2)(がゆ)く思つた。けれども其処をまた最も楽しく思つた。近藤を殺害するときも芳江は六さんを無理に勧めて、以て二人は大(だい)なる犯罪を敢てしたのであつた。
 然れども近藤を殺した瞬間から、六さんは、恐ろしく固く度胸を据ゑた。そして二人は、近藤の持つて居た金員(かね)を握つて、夫婦の約(やく)を履行した。
「ところが、六さんは、気の毒にも昨日捕へられて送られて行きました。私は迚(とて)も生きて居る瀬が御座いませぬで今晩、此所で、死んで了(しま)はうと………」
 頻りに注意して居た真島巡査は、職務の為に、
「それから其(その)六さんと二人で東京へ出たのか?」
「静岡に知つた人が御座いまして」といふや否や、
「そして貴様が、東京で妾に住み込んだのか?」
「私は直様(すぐさま)、塩原へ参りました。其(その)時恰度来合せた方と約束を致しました」
 かくして芳江は藤枝勝清に近づいたのであつた。
 近藤の死を、加害者の口から聞いて、大村は太息(ためいき)を洩して近藤の身の儚なさを考へた。近藤(かれ)は遂に犠牲ならぬ犠牲として斃(たほ)れたのである。かくして一生を、風の如く軽く、荒なみの如く激しく終つた。かう思ふと殺した芳江の罪よりも、呆気なき近藤の死に様が、気に懸つて仕方がないのである。
 様々な運命、雑多な境遇を配合して、井上も深く深く、過去や未来の空想に耽つた。
 真島巡査が唯一人、芳江の言葉其の物に注意した。
「それで何故また其の人を殺す様になつたのか?」
 芳江は其の時身顫(みぶるひ)をした。月は惜■(※3)(をしげ)も無く、墨の様な四つの影を、沁み込む程、地上に投げた。

(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)病垂+「蚤」。
(※3)原文一文字判読不能。

底本:『京都日出新聞』明治44年5月5日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(リニューアル公開:2009年2月16日 最終更新:2009年2月16日)