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あら浪 第六十一回 生活に厭いた

不木生

「それから釜山(ふざん)で二年間、居りましたが、それも厭になつて、丸よしで御世話になる様になりました。」
 彼女(かれ)の語る所は僅かである、がこれ迄の彼女(かれ)一身の波瀾は、実に譬ふるに物が無かつた。
 二年を経て彼女(かれ)は肉慾的生活に厭いた。無我夢中で暮しては居たが(※1)一たび考へると頻りに詰らなくなつて来た(。)(※2)けれども、一旦劈痕(ひび)の出来た玉は再び回復(かへ)らない。然し乍ら彼女(かれ)は其れを歎く元気は無かつた。人の妻として一生涯を送らうといふ心も持たなかつた。それ故に、売春婦の生活が厭になつたのも女の将来を推し量つた上の算段ではなくて、たゞ其(その)単調なるに疲れたからであつた。
 たゞ場所と職業とを変へようと考へた。然し新らしい職業とて更に無い。再び以前(もと)の酌婦として、丸よしに住む事となつたのである。丸よしは料理屋を兼ねた○○屋であつて、其処で芳江は、花ちやんゝゝゝゝ(※3)と呼ばれて居たのである。
「そうして皆様に御厄介になつて居(をり)ました内、六さんと言ふ男を、私はすつかり思ひ込んだので御座います」
 六さんといふのは堤六太といつて、京城(けいぜう)のある工場へ出る職工であつた。
 ある晩方、連中と丸よしへ飲みに来た時、見初めたが原因(もと)で、二人は思ひ思はるゝ間柄となつた。芳江が六さんを思ふの情は遙かに勝つて居つて、男の弱点に乗ずる事の上手であつたゞけか様な場合には悉く自分の弱点を発揮した。であるから、六さんには身も世もなく、惚れ込んだのである。
 僅かに一日の給料に頼つて行く労働者である。其の男に芳江が、かく迄、上り詰めたのは、決して女の所謂虚栄心でもなければ、また憐れな恋慕でもない。芳江は飽く迄勝気に富んだ女であつた。
 即ち芳江は摺れこけた女である、一たび熱烈な恋瀬に耽(はま)つたからは、差すにも差せず引くにも引けず、心は寸分の余裕もない(。)(※4)其処で世の中の人の様に(※5)(も)し夫といふものを持つならば、六さんより外にはないと知つた。さあかうなると六さんには好い着物も被(き)せたくなる、旨い物も食べさせたくなつた。
「其(その)時分から近藤さんには御世話になつて居りました。」と芳江は俯向いて語つた。
 近藤良治(れうぢ)は孤児(みなしご)であつた。譬(たと)へば大海の中央(まんなか)に、浮き漂つて居る小島の様に、世の荒波に打たれつゝ、人と為(な)つたのである、彼は母の私生児であつた、而して二歳(ふたつ)の時に其の母にさへ死に別れたのであつた。寂しい生活を営むで少なからず奮闘を重ね、果(はて)は商業を以て、多少の金員をも蓄積(たくは)へた。けれども荒波はあまり(※6)激しく彼を洗つた。それが為芳江が色々と言つて呉れるのに、心も胆も溶(とろ)かして、前後、用捨の弁(わきまへ)は莫(な)かつた。
 芳江が語らなかつた外に、まだこんな話がある。六さんと同じ工場へ出て六さんよりも少し位置の高い常さんといふのが、少なからず芳江に焦れて居た、幾度か、色々の方便を以て芳江に迫つたけれども、芳江は嘗て応じなかつた為に、常さんと六さんとは始終歯向きが合は無かつた。であるから、常さんは株の好い幸(さいはひ)に、六さんの悪い様悪い様に仕掛けて、意趣を晴らさうと勉めた。六さんは甚だ、無念の情に堪えなかつたが心の涙を抑へて、芳江に訴へるのが常であつた。
 先きつ夜、小石川の芳江の宅(うち)へ、強盗として押し入り、次(つい)で六さんに撃ち殺されたのがこの常さんであつた。

(※1)原文ママ。
(※2)原文句読点なし。
(※3)原文の踊り字は「く」。
(※4)原文句読点なし。
(※5)言偏+「黨」。
(※6)原文ママ。

底本:『京都日出新聞』明治44年5月4日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(リニューアル公開:2009年2月16日 最終更新:2009年2月16日)