草鞋の緒を結んで二人は再び出懸けた。
「幸先が悪い!」と井上は思つた。けれど井上は迷信家ではなかつた。躓いて怪我でもしたら大変だが、先づ宜かつたと胸を撫で下した。凸凹の土地を歩くと、じわゝゝ(※1)と草が躙(にじ)られた。
鳥にも出逢はねば、万一の野猪(しし)にも邂逅せぬ。けれども二人は決して厭はなかつた。寧ろ相互の会和(※2)に熱中した。
「然し、この韓国合併に対する恩人は伊藤公に外ならぬ」と井上は真面目になつた、
「全く伊藤公の生命(せいめい)に替へたのぢや、そうゝゝ(※3)春畝公の詩にこんなのがある(、)(※4)
「豪気堂々大空に横(よこた)はる、日東誰か、帝威を隆(さかん)ならしむ。高楼傾け尽す三杯の酒、天下の英雄眼中に在り。」
実に活気横溢ぢや、正に三唱に値する」
「近藤が居たら僕等と合せて三唱になる」
「うむ面白い言ひ種ぢや、近藤と君と僕とでなる程三唱ぢや、それに春畝公の三杯の酒、そして所が三韓!」
「時が三伏の始め!」
「南洲翁の三尺の剣」
「それから君の歌つた東湖の三更。」
「これは面白い三づくしぢや、もうないか?」
「うむ待てよ、伊藤公と南洲翁ともう一人豊太閤とで韓国に対する三恩人。」
「それからまだある」と強い声。
「何が?」
「君と君の妹と、君の叔父さんと、正に血縁の三福対ぢやないか?」と得意になつた。
「至極好い思ひ附き!」と井上は頬笑んだ。
妹の事を思ひ出すともう夢中になる(。)(※5)今年の冬出かけるとすると、半年に充たぬ月日、養父母は、何時出かけてもよいと許して呉れた。けれども役所の方の差■(※6)(さしつかへ)等によつて、事によると、来春(はる)になるかもしれぬ。何にしても其の逢つた刹那が始終予想せられる。二十年余も逢はなかつた自分の妹に逢ふ! 東京へ尋ねて行つて妹の顔を見る(、)(※7)「妹」といふ。「兄さん」と叫ぶ。或は自分の顔に見覚えが無いかもしれぬが、暫らくして判明(わか)る。「寂しかつただらう?」と言ふ。妹が涙ぐむ。自分も其の時、物が言へぬ様になる。或は嬉しさに気絶するかも知れぬ。
こんな事ばかり、井上は近頃頻りに思ひ詰めて、夢にも見、現実(うつつ)にも描く(。)(※8)或時は独りで笑つたり又ある時は「妹よ」と声高に叫んだり。近頃は顔色に光沢(つや)を帯むで、同僚の誰かは、井上に好い人でも出来はせぬかと評判した。
そんな按排で、立つても居ても臥せつても起きても、妹の事ばかりが、行住座臥、時処諸縁を嫌はずといふ調子で、犇々(ひしひし)と胸にも迫り、血にも混つて流れた。
であるから苟旦(かりそめ)にも妹の事が持ち出されては、どんな場合でも考へずに居られぬ。今も亦(また)、魂は妹の方に飛んで了(しま)つた。
大村は酔眼にも、井上の心事を了解した。
「幽明境を異にして居ちや、仕方もあるまいが、同じ地球の上、同じ大日本帝国に居るのぢや、汽笛一声と来ると(、)(※9)
踏破る千山万岳の煙……か」
「妹今日何(いづ)れの辺(へん)にか在る」と井上も調子を揃へた。
「東京ぢやから、短簑(たんさ)直ちに入る紅塵の巷と行かう」
「一夜深く語る藤枝の家」
「それからが報国の丹心云々で、今度は我輩が加勢するといふべきぢやが」
「いはぬと言ふのか?」
「君一人妹に逢へば足れりぢや」
「そう言へばそうだな」
(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)原文ママ。
(※3)原文の踊り字は「く」。
(※4)(※5)原文句読点なし。
(※6)原文一文字表示不能。「門構え」+「冉」。
(※7)(※8)(※9)原文句読点なし。
底本:『京都日出新聞』明治44年4月29日(第4面)
【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」
(リニューアル公開:2009年1月30日 最終更新:2009年1月30日)