風は穏かに、大平の樹を鳴らして居る。
籬(まがき)には花の影も留めぬ今日此頃。
薄ぼんやりとした月が、初夏の夜の番人を勤めて、飛ぶ鳥の影が真黒(まつくろ)に、野原の面(おもて)を縫つて行く。
春の月よりも夏の月、夏の月よりも秋の月、秋の月よりも冬の月、冬の月よりも更に春の月と誰かゞ洒落た言草(いひぐさ)の通り、月に甲乙を評する訳には行かぬが、初夏の月は初夏の月だけにまた別段の風趣(ふうしゆ)がある。
京城を距(さ)る事南半里余。郊原に声痩せて空は一面に蒼澄み、吹く風はまだ春の名残をとゞめて、うそ寒く肌に感ずる。
森を潜り、河を渡り、丘陵(おか)を踏んで打語らふは、例の井上時雄と、大村金吾の二人である。
月日に関守(せきもり)はないといふが、近藤が死んでからはや十ヶ月。大村が耳にしてから半年に手が届く。去るものは日日に疎しの掟もあるが、大村も今は左程に、近藤の事を言ひ出さぬ様になつた。
然れども、近藤を殺した犯人は未だ逮捕せられず、且つは此の事件に関して苦心を積むだ友人真島巡査からの経過報告を聞いて、大村は遉(さす)がに、少なからず気を揉むだ。亡き親友の遺牌の前に、早く復仇(ふくしふ)の顛末が齎(もた)らしたかつた。けれども商売は其の道によつて賢しの習はせ。自烈度(じれつた)さを押し怺(こら)へて函(すみや)かにゝゝゝ(※1)の念は絶ゆる時節が更になかつた。
一日と経ち、二日と過ぎて、忘れはせぬが男の常で、女々しう繰言がこぼされた訳でも無い。思ひの根ざしこそ深いが、昔ながらの快活な気性は、漸次取り戻されたのである。
二人共猟銃を肩にして居た、洋服の装束軽く繕つて、曹司(へやぞうひ)の身の気楽さよ(、)(※2)家には待ち侘ぶる細君も侍(さぶ)らはねば、づんゞゝ(※3)と遠くまで、進むで来たのである。
今宵、揃つて出懸けたのは、鳥を捕ると言ふより、万一の獲物を目的(あて)にして、即ち此の辺(あたり)を荒らす野猪(のじし)を打たむと、大村の建議に基いたのである。
大村は、首途(でがけ)に一盞(びん)を傾けたので、酔つたといふ程ではないが、酒を飲まなかつた井上の眼には、或(あるい)は可笑(おかし)い振舞が認められたかもしれぬ。
大声呼酒座二高楼一豪気欲レ呑五大洲(たいせいさけをよんでこうろうにざすがつきのまんとほつすだいしう)
一片丹心三尺剣、奮レ拳先試侫人頭(いつぺんのたんしんさんじやくのけん、こぶしをふるつてまづこころまんねいじんのかうべ)
と大村は風に向つて吟じた。
「どうだ井上?」と単刀直入。
「うむ、南洲翁の気焔か?」
「侫人(ねいじん)の頭(かふべ)といふよりも犯人の頭(かふべ)ぢやな! 我に一片の丹心ありぢや、三尺の剣(つるぎ)は無いが、五尺の銃が此所に在る、近藤また以て瞑すべしか?」
「その通りだ!!」
「金風颯々醸二群陰一玉露溥々凋二万林一(きんぷうさつさつぐんいんをかもすぎよくろたんたんばんりんしげむ)だらう。独座すー、三更天地(さんかうここち)……静かに一輪の明月、丹心を照す……恰度(てうど)今夜の様ぢや」
「そうゝゝ(※4)、報国の丹心、独力を嗟(なげ)く、ではいかぬぞ、及ばず乍らこの井上も加勢する。」
「天晴ぢや、井上! 有難う、南洲翁が月照と海に這入(はい)つて、自分一人残されて了(しま)つて、十七回忌の折に、「首を回(めぐ)らす十有余年の夢、空しく幽明を隔てゝ墓前に哭す」と歌つたが、今は十有余年はなくて十有余月ぢや、僕も同じ様な感慨ぢや、南洲翁もこの朝鮮の土地には縁がある、此(これ)らも何かの因縁ぢやらうて。」
「南洲翁は嘸(さぞ)かしこの朝鮮が蹂躙したかつたであらう、其(その)南洲翁は失意の人となつて僕等が自由に踏み破れる。これで僕等の本意を遂げなくては、南洲翁にも面目ない、大(おほい)に勤めて近藤の怨恨(うらみ)を晴さう!」
「うむ、誓つて晴らす」と強く言ひ放つた。
忽ち石に躓いて、大村は蹌踉(よろよろ)と歩調を乱した。
「しまつた」と一言。
「どうしたのだ?」
「草鞋の緒が切れた!」
(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)原文句読点なし。
(※3)原文の踊り字は「ぐ」。
(※4)原文の踊り字は「く」。
底本:『京都日出新聞』明治44年4月28日(第4面)
【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」
(リニューアル公開:2009年1月30日 最終更新:2009年1月30日)