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あら浪 第五十二回 真正(まこと)の女

不木生

「雪子、よく知つて居たな!」
「お父さま!」
「おゝ雪子」
「私は………」
「雪子! お前には苦労をさせた。お父さんは草葉の蔭から、ちやん(※1)と見て居たぞ、お前と、お前の兄の時雄が成人する迄、私はどうしても安心して墓の中で眠れなかつた、肉は腐り、腹(はらわた)には蛆が発生(わい)ても、魂はまだ墓場の土から離れる事が出来ないのだ、お前が今日出逢つた運命は、私が生きて居た時と全く同じ出来事だ、私は一伍一什(いちぶしじう)を見て居た。お前の母はお前と同じ様な境遇に在つて、遂にそれが為死んで了(しま)つたのだ、雪子! 私はお前達の身の上に、如何(どれ)程幸福(しあはせ)を祈つたやら知れない。然し雪子、定(き)まつた運命に向つては、何事も手の附け様がない。魂は何事をも成し得ると言ふが、亡者としては、自分が作つた罪悪と同種の者に当つては何事も口が塞いで言はれない。畢竟(つまり)、自分の罪悪を以て、他人の罪悪を左右したり又は償つたりする事が出来ないのだ、それでお前の夫がお前に与へた苦痛をも見す見す棄てゝ置かねばならぬ。お前の母は、恨み悶えて、死んでも尚、其の念(おも)ひを尽す事が出来なかつたのぢや、そこで亡者の恨怨(うらみ)は単純に成り立つて行く事が出来ない為に、お前を犠牲にしたのだ、ところがお前は弱い弱い真正(まこと)の女ぢや、それが為に飽く迄苦しまねばなら(※2)のだ。」
 流るゝ語調を以て、懇ろに語る父の亡霊は、行燈(あんどう)の後(うしろ)で幽かに照されて、愁然の眉をば顰めては居るが、姿は神神しう光つて渇仰の念は胸に充ちた。雪子は思はず坊やを抱いた儘跪いた。
「人間が受くべき寿命に制限(かぎり)のある通り、矢張、人間が受ける苦痛にも制限(かぎり)がある。其(その)苦痛を果さずに死ぬ者もあれば早く果して了(しま)ふのもある。これは生命(いのち)と苦痛とが別物であるからである(。)(※3)然し或る場合には生命(いのち)(その)物が苦痛である時もある。その時は前とは多少性質が違ふ。加之(のみならず)正反対の場合もある。親が苦痛を果さずして、子に譲るときは其の子が受け継いだ瞬間、別の方の苦痛と変るのだ、それ故、其の子が受くべき当然の苦痛と中和せようとする。其の際劇(はげ)しい葛藤が生ずるのだ。然し其(その)挙句は潔白(さつぱり)として了(しま)ふ。雪子、私は六ヶ敷い事を言つた。けれど雪子、罪悪を持つて死んだ者は、亡霊となつても、この様に理窟つぽくなるのぢや。だが雪子、お前がその様に悲しい思(おもひ)をするのも、皆(みん)なお父さんの罪悪が酬いたのだ、けれど亡霊にも、多少の元気と実力は具へて居る。雪子、お前はこれから新らしい生涯に分け入るのだ、雪子、中々これ迄、よく自分と戦つて来た、天晴だ!」
 陶然(うつとり)として、亡き父の語り草を聞いた時微妙(みめう)の声は、転々と耳の底を彷徨(さまよ)つた。
「お父さま!」とばかり。
「お父さま!」と懐かしさが余つて、更に叫んだ。
「おゝ雪子!」と更に力を入れて、
「お前と別れたのは、お前が三歳(みつつ)の時であつた。よくも忘れずに居てくれた(。)(※4)父子(おやこ)の縁は、この様にも深い、雪子、もう私は安心して瞑する事が出来る。然しお前のお母さんはまだ迷つて居る(。)(※5)それが女の業だ。お前はお母さんの顔は知るまい。お前の兄の時雄はお母さんの顔に其儘(そのまま)だ、時雄もやはり苦労に苦労を重ねた。男だけの悲しい目も見た。然し今は無事で居る。(」)(※6)
 かう言つた時、亡霊の語(ことば)は、ぷつゝりと途絶えた。雪子は思はず顔を挙げた。
「雪子!」としみゞゝ(※7)と雪子の顔を眺めて、
「お前は兄さんに逢(あひ)たくはないか?」
「お父さま!!!」
「よし、逢はしてやらう!!」

(※1)原文圏点。
(※2)原文ママ。
(※3)(※4)(※5)原文句読点なし。
(※6)原文閉じ括弧なし。
(※7)原文の踊り字は「ぐ」。

底本:『京都日出新聞』明治44年4月25日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(リニューアル公開:2009年1月30日 最終更新:2009年1月30日)