一時(じ)に二つの葬式を出して、雪子はコークスの様に疲れ果てた。崩れ泣く雪子を見て、人は悉く万斛の涙を■(※1)(そそ)いだ。
一切の事は叔父なる木村篤司が取り計らつて呉れた。夢であるか現(うつつ)であるか、これさへも考へる隙が無かつた。涙の泉は涸れ果てゝ了(しま)つた。けれど苦痛の鑿は真底まで穿(ほじ)くり出さうとするのである。
何処までが生の範囲であつて、何処までが死の領分であるか、其(その)境界も不明になり終つた。同時に五体と精神との統一が壊れて、たゞ鉛で作つた機械の様にして、動きもし又鈍りもする有様であつた。其(その)程度が漸く狂哀の墻(かき■)(※2)の中に移り越した。
何が故の出来事であるか。何が故の災難であるか、夫は殺され、姑も死ぬ、これが本当であられようか、仮(うそ)であらう。仮(うそ)とすれが(※3)現在茲に■(※4)(しらき)の遺牌があるではないか、然らば夢であらう。なれども今は覚(さめ)て居るではないか、すると真実に違いはない、……頭は血淋漓(ちみどろ)になつて、……こんな事の起らう筈が如何(どう)してあらふ、かくなる訳は決して無い、間違(まちがひ)である。誤謬(あやまり)である。死ぬ、二人も一時(じ)に逝く、こんな事が起る所以のものではない。
其(その)狂哀も漸く稀(うす)らぐと、真摯(まじめ)な愁歎が代つて来た、骸(かばね)は冷え、形は亡びて、再(ふた)たび逢はれる縁(よすが)がない。天に叫び、地に訴へても、二度と見られる吉日はない、あはれ、この先、この後、如何(どう)して光陰(つきひ)が過されようぞ、止(やん)ぬる哉、どこまで悲哀は自分を攻めるか、厭だ、厭だ、「所夫(あなた)、私も跡(※5)から!」
夫は他人の為に殺された。殺した人はなる程怨めしい、けれども殺した人を怨むよりも自分の身が怨めしい、母は夫の為に殺された様なものだ、自分が何故死ななかつたであらう。命にも更(か)へて慕つた夫に、死に別れる! 天にも地にもかゝる無道があるであらうか(。)(※6)同じ此の世であるならば、如何(どん)な処(とこ)でも捜しに行くに、それを思ふと四十八の節々を捩ぢ断(き)らるゝより苦しいのである。二世を契つた夫ではないか、同穴とも云はれる夫に去られて、取り残された此(この)身の怨めしさ!
更に思(おもひ)を取り直せば、立つても居ても居られない。腹には正しく夫の形見! 生きて産れた其の暁、其の子、其の子、何の為に楽しからうぞ、夫ありてぞ子の可愛き、すると愈(いよいよ)苦痛の胤(たね)、思へば腹が燬(や)けて来る。焼けたい、焼けたい、焼(やけ)死にたい。
家には新参の下女一人、篤司は家に居てくれるが、何を語り、何を談(はな)し、何を取り計らつたか少しも判明(わか)らぬ、今後の処置、それが如何(どう)して手が附けられふ。
何時(いつ)迄泣いたら、この悲哀の根が尽きるであらふ。どれ程悔(くや)しんだら、懊悩の基(もとゐ)が消えるか、悲しとよりも意外、意外とよりも不思議である。不思議で済めばそれでよいが、言ふまいとしても愚痴が出る、抑へようとしても長太息(ためいき)は洩れる。
篤司は遉(さす)がに冷静に取り計らつたが(、)(※7)雪子の思想は混雑した。たゞ一髄(ずゐ)に悲観した。寝れば夢を見る、起きれば紛紛と胸に集(たか)る吁(ああ)、此(これ)から何として暮して行かう?
「雪さん!」といふ声に、雪子は思はず、眼を据えた。
「雪さん!」といふ聞き覚えのある声。
四面(あたり)は■(※8)(げき)として居る。
風の声か。さわゝゝ(※9)といふは?
(※1)「さんずい」+「賎」。
(※2)読み仮名一字判読不能。
(※3)原文ママ。「ば」の誤植か?
(※4)木偏+「素」。
(※5)原文ママ。
(※6)(※7)原文句読点なし。
(※8)門構え+「貝」。
(※9)原文の踊り字は「く」。
底本:『京都日出新聞』明治44年4月20日(第4面)
【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」
(リニューアル公開:2009年1月26日 最終更新:2009年1月26日)