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あら浪 第三十九回 強盗

不木生

 その同じ夜の事であつた。
 月は雲に閉ぢられて夜は正に三更。
 洋燈(ランプ)は仄の暗く室(へや)に照り渡つて、四辺(あたり)は草木と共に眠つて居る。
 二(※1)に寝て居た芳江が、不図眼を覚まして見ると、枕頭(まくらもと)に立つた二個(ふたつ)の人影!!!
 全身は痺れた様に、ゾツとして芳江は蒲団を被つた。
「ハヽ、オイ起ぬか?」と一人がいふ。
「オイ、コラ!」と今一人は足を以て蒲団の上から揺(ゆす)つた。
 すはや強盗!
 芳江は此の家(うち)にたつた一人。声を挙げれば何処かへ届かぬ事もあるまいと思つても其(そん)な元気にはなれぬ。且つ声を出し難(にく)い訳もある。うつかり警官に来られて、悪い事情も持つて居る。さりとて逃げ出す訳には行かぬ。何とも突差(※2)の間には考へが附かぬ。愈(いよいよ)深く蒲団にもぐり(※3)込むより外はない。
 覆面の男はさらりと夜着を葉繰る。細い灯が物凄く光る。芳江の寝衣(ねぎ)の姿が鮮かにしほらしい。
「オイ金を出せ! 馬鹿に好い顔してるな!」
「金はありませぬ。其(その)代り何でも持つて行つて下さい!」と拝む様にいふ。穏かに此の場が済ませ度いのである。
「うつかり抜(ぬか)すない! 金が目的(あて)で来たと思ふか?」と小さい男が言ふ。
「オヤ」と大きい方は驚いた為体(ていたらく)
「貴様は、丸よし(※4)のお花!!」
 芳江はぎよつ(※5)として見上げた、顔は覆つてあるが、黒い包みの奥からは、凄い二つの眼の玉が光つた。
「貴様は六太の野郎と二人で、一時八釜しかつた、あの人殺(ひとごろし)を為たのだらう?」
 芳江はぶるゞゝ(※6)と顫へた。今一人の男も何が何だか判明(わか)らぬのに、と惚(ぼ)けて居た。
「よくも図太く、遣つてるな! 俺はこんな商売をしとるので、警察へ告げる訳には行かぬが、お花! 貴様はよくも俺をこんな身分に為やがつたな! こんな商売をするのも皆(みん)な貴様の御蔭ぢや(、)(※7)貴様と六太の野郎は、殺(※8)ても遺恨(うらみ)は晴れぬぞ!」語調は殺気を帯びた。
「俺が強盗を始めたのも全く自暴(やけ)から起つたのだ! 貴様の御蔭で、厭ではあるがこんな事をせねばならぬ様になつたんぢや、オイ、昔の(※9)だと思ふか、好い所で見附けた、六太の居ないのが残念だが、用捨はせぬからさう思へ!!」更に傍の男に向ひ、
「政公! ひつ縛(くく)つてしまへ! 今夜こそは思ふ存分、此れ迄の思(おもひ)を遂げてやらう。遣りたい儘を遣つてやるからそう思へ、へん、こうなつちやどんな悪魔でも叶ふまい!」
 政公は帯を解いて、芳江を縛りかけた。芳江は灰の様に青くなつた。
「まあ、常さん! あの事は訳があつたのだから聞いてよ!」
「馬鹿め! 今になつて何を言つたとて取返しが附くか? 愚図々々抜かすと、腹も頭も蹴破るぞ!」
 政公は管(かま)はず両手を後(うしろ)に縛る。芳江は蒲団の上に座つた儘である。
「本当に常さん、これだけは許してよ、痛いから!」
「こればかりで済むと思ふか? 殺すものに慈悲(なさけ)を懸ける馬鹿があるか? 如何(どう)したとて活して置くものか!!」
 芳江は死んだ様に青くなつた。
「政公、弄り殺しにしてやらう。どうせ、毒喰や皿だ。」
 政公は芳江の口に手拭を捩ぢ込むだ(。)(※10)
 途端にガラリと唐紙が明いた。
 忽ち其処に現れた一人の紳士(。)(※11)
「ヅヅーン」
 更に又
「ヅヅーン」
 あつ(※12)と言つて常公も政公も斃れた。
 拳銃(ピストル)の音は夜の空気を破る。煙硝の香(か)がプンとして、再びもとの寂寞(せきばく)に帰つた。

(※1)(※2)原文ママ。
(※3)(※4)(※5)原文圏点。
(※6)原文の踊り字は「ぐ」。
(※7)原文句読点なし。
(※8)原文ママ。
(※9)原文圏点。
(※10)(※11)原文句読点なし。
(※12)原文圏点。

底本:『京都日出新聞』明治44年4月12日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(リニューアル公開:2006年3月8日 最終更新:2007年2月26日)