((※1)雪子は藤枝勝清氏の妻として、無事にて候)(※2)
枯れた手蹟で鮮かに書いてある。大村はジツと瞻(なが)めた。
「これだけか?」と尚も不審相に尋ねた。
「そうだ!」といつて直様(すぐさま)声を低め、「それだけで十分でないか?」
「なる程これで確実(たしか)ぢや、一体誰が出した?」
「書いてはないが、叔父さんに相違(ちがひ)はなからう」
「藤枝の妻として、何処に住むで居るか解らぬぢやないか?」
「書いてない以上は、やはり生れた土地に居る事だ、妹に逢ふのを渇望して居る僕にとつて、此れ以外の消息は要らぬ!」かういつた声には一種の艶を帯びた。
「君の叔父さんはあの時から直ぐ日本に帰つたのぢやらうか」
「何処で死ぬやら判明(わか)らぬと言はれたものゝ、それは修行を積むだ人の用(つか)ふ言(ことば)だ、例ひ解脱をして居られても、凡夫となつて此の世にある限りは、やはり浮世を離れる事が出来ないのだらう(。)(※3)誰だつて生れた土地の恋しくないものはない。」
「その通りぢや、先達(せんだつて)は呆気ない言(ことば)をいはれた様ぢやが、血縁の云ふに云へぬ深い所がつまり其処にあるんぢや」
「血縁は争はれない。其処へさして人情が交る。冷淡な様に見せて、奥底に親切がある、否(いや)、其(その)冷淡と見るのが此方の誤解だ、同じ血を分けた者には、尽し難い有難味がある。殊更僕の様な位置にあるものは其(その)事を痛切に感ずる!」
「それで君の叔父さんは、妹にも直接逢はれたぢやらうか?」
「それは判明(わか)らぬ」
「やはり、君が逢つた様な具合にさ!」
「叔父さんの事だから、何ともいへぬ」
「けれど、君の妹の方へも、こんな風に手紙が出してあるぢやなからうか?」
「或(あるひ)はそうかも知れぬ」
「何にしろ、君はこれで立派な妹の消息を得たのぢや!」
「あゝ、二十年来の」といつた顔には、喜悦の色が溢れた。
「まあ好かつた! 大(おほい)に喜ぶべしぢや! こうなつた以上は愈(いよいよ)近い内に二人は逢へる」
「うむ、僕は自分の生命(いのち)を拾つたよりも嬉しい!」
「尤もぢや!」
「どうかして妹にも、僕がこうして居る事が知らせて遣りたいものだ!」
「それよりか、近い内に日本へ行つたらどうぢや?」
「うむ、今年の末か、来年の春は是非行く心積(つもり)だつたが」といつて俄に調子を変へて「然し、藤枝氏の妻として無事であると言ふのみで、藤枝は如何(どん)な人か少しも判明(わか)らぬ。妹は亦、人の妻として一通りならぬ苦労でも為て居るではあるまいか?」
「それは第二の問題ぢや!」
「この手紙に無事だと書いてあるから其処に無限の意味が含ませてある様でもある(。)(※4)兎に角妹も寂しい身だからな、やはり不幸者の数の内だから、或(あるひ)は近藤の様に、不幸に不幸を重ねて居りはすまいか?」
大村も是に対しては、何事も答へ得ないのである。
「そう考へるのも尤もぢや、けれど人の妻として、無事に暮して居る以上は、女として幸福(しあはせ)といふべきぢやないか? 寂しい性質は女の美点として喜ばれるものぢや、何(なあ)に、今頃は大(おほい)に発展して居るよ、祝つて可なりぢや、君の一心は届けりぢや、するともう半年経つて逢へるのぢやな?」
「そうだ」と井上も著しく元気を帯びた。顔は生きゝゝ(※5)として見えた。
「君が妹と逢つた時の顔が見たいよ!」と言下に大村は附加へた。
井上はうそり(※6)と含笑(はにか)むだ。
(※1)(※2)原文は二重括弧。
(※3)(※4)原文句読点なし。
(※5)原文の踊り字は「く」。
(※6)原文圏点。
底本:『京都日出新聞』明治44年4月7日(第4面)
【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」
(リニューアル公開:2006年2月24日 最終更新:2007年2月26日)