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あら浪 第三十四回 悲観

不木生

 総督府の一室に、卓子(テーブル)を擁して語るのは井上と大村とである。
 井上は大村に話し度い事が出来たので、二人は此所に会したのである。
「まあ其の様に悲観したとて、死んだのは仕方がないよ!」
 近藤の横死を確めて、大村は俄に気力を落した。爾来四ヶ月を経てもまだ沈み勝なのである。井上は逢ふ都度、宥め役である。
 真島(まじま)巡査から報知を聞いた大村は、夢かとばかり驚いて気絶する程であつた。同志の者が発起して、葬式を営むだ時、大村は卒先して斡旋の労を取つた。
「それでまだ犯人が発見せられないか?」
「駄目ぢや!」
「然し大抵の見当は附いて居るだらう?」
「うむ、勿論君も知つてる通り、例のあの女と情夫の六とかと云ふのが犯罪人ぢやらうと警察側でも注目して居るんぢや!」
「それであつてさへ、まだ彼等の所在が判明せぬのか?」
「今日も真島君から聞いたが、一向不明(わか)らんぢや!」
「それでも、もう近い内に知れるよ!」
 井上は大村に語りたい用事があつても、かうなつては又もや近藤の上に移る。
「然し考へれば考へる程気の毒だ!」
「云ふに云へぬ」と大村は塞ぐ。
「やはり不幸なものは、飽く迄不幸で果てなければならぬのかしら! 近藤は一生涯、苦しみ抜いた薄命の男だつた」
 大村は以前の元気はない。漸く口を開く。
「近藤が生きて居る時、云つた事がある。苦しみ切つて見りや却つて楽しいものぢや、自分の身ぢや楽を求めるよりも、苦を買つた方が却つていゝ、と(。)(※1)井上! これまでの近藤の苦(くるしみ)といふは一通りや二通りぢやない!」
「そうだよ! 何方(どちら)にしても、僕等の唯一の親友を失つた事は返す返すも残念だ!」
「苦痛の内に居ながら、元気のある姿は、もう二度と見られぬ。」
「毒手に斃れた彼は、嘸無念であつただらう、彼は自分で自分を欺いて居たのだ。後悔してるだらう。女に対する苦労ばかりが始めてだつたんだ。其(その)初めての苦労が、其(それ)迄の沢山な苦労に打勝つて、彼を殺したのだ。それにしても彼は寂しく、憐れに死んだ。血縁として彼の為に、涙一滴もこぼして呉れるものは無い。其(その)点よりしても一層同情に堪へぬ。けれど、過去の事は取り返しが附かぬ。僕等は彼の親友として、何処までも手厚く彼の菩提を弔らはなければならぬ。」
「それが肝要ぢや?」
 二人は各自(めいめい)、近藤の事を考へて話は途切れた。沈着な井上は茲で始めて我に返つた。大村を呼ぶ迄の井上の心は、沸き返る程騒いで居た。嬉しさの叫びは咽喉(のど)元まで、詰めかけて居た。けれども遉(さすが)に彼は落着いて居る。先づ大村の顔色を眺めて其(その)心中を慰め次で今自分の話に移つた。
「実は大村!」
「何ぢや?」と尚も進まぬ気色(きしょく)
「君に喜んで貰ふ事があるのだ!」
「それは又、何の事ぢや?」
「僕の妹が無事で居る事なのだ!」
 大村は思はず井上の方に向き直る。
「知れたのか?」
「うむそうだ」
「確かにそれが如何(どう)して判つた?」
「今朝、僕の所へ、こういふ手紙が来たのだ」といつて洋服のポケツトから一通の封書を取り出した。
「何処から?」といつて大村は手紙を受取つた。
 表面(おもて)には総督府へ向け、井上時雄宛であるが、裏には発信人の名が欠けて居る。而も封筒の中には幅二寸ばかりの紙片が入つて居るばかり、大村は呆気なく其れを引き出して読む。

(※1)原文句読点なし。

底本:『京都日出新聞』明治44年4月6日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(リニューアル公開:2006年2月24日 最終更新:2007年2月26日)