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あら浪 第三十回 四月十五日

不木生

 花を手向けて、石碑の前に跪づいた女が一人。
 谷中の墓地には、香のにほひが溢れて、樹々の花には艶こそあるが、鳥の歌ふのは胸を刺す様に響く。
「雪さんぢやないか?」
 呼ばれて振向いた女は、
「まあ■叔父(おぢ)(※1)様」といつて立ち上つた。
 木村篤司は五十ばかりの品のある紳士で軽い羽織をすらりと着て居た。
「四月十五日でしたかね」石碑を眺めて尋ねるともなく言つた。
 雪子の赤い眼瞼(まぶた)に気附いて、篤司の眼も潤む様に見えた。
「御母(おつか)様の御病気はどうかね?」
「ハイ、一向に変りませぬで御座いますが……」
「そうか」何か言はうとして急に黙つた。
 亡父(ちち)の命日に当るので、雪子は今日暫くの暇を貰つて墓参に来たのである(。)(※2)
 先日(さき)の夜お清から話を聞いた雪子は一層愁歎の涙にくれて、矢も楯もたまらず、小さい胸は破裂する様に覚えた。乍然(さりながら)母は病気である。叔父に話すのも家の恥と、固くも口を噤んで、自分一人で泣きもし悲しみもした。
 悲哀、懊悩、苦悶は、日を経るに連れて増長した。極度に達する最後の暁も近きにあると知れた。それで今、亡き父の冷たい碑(いし)を撫でゝ、過去や将来を思ひ巡らす時は込み上る様に多情は湧いて涙は愈堰き敢へぬ。土も湿れば袂も濡れた。半日の長い間を泣いて泣いて泣き飽かさう。せめて涙で苦悩を取り除けたいと、思ふ矢先に図らずも、矢張用あつて此処に来た叔父の篤司と邂逅したのである。
「勝清は近頃…」といつたが篤司は雪子の可憐なる姿に対して、言葉は無頓着に辷り出し得ない。彼は急に転じた。
「雪さん御気の毒だ!」
 彼は雪子の為には媒介者(なかうど)である、勝清の為には実の叔父である。
「先日伺つた時に、御母様(おつかさん)から一伍一什(いちぶしじう)を聞いた。」
 雪子の眼から二三滴、はらゝゝ(※3)と溢(こぼ)れた。
「雪さん、辛抱が肝腎だ、其内には笑ふ時も来る。御前の心は察して居る。(」)(※4)
 得たえずなつて雪子は啜り泣いた。篤司も顔を外向けた。雪子は一語も発せぬ。
「男の心の闇は間もなく明るものだ。」といつたが遉に同情の念が突かけて来る。
「雪さん、御前は運が悪い、仕合(しあはせ)が悪かつた。けれど一度(ひとたび)嫁いだ以上は、何処までも忍耐して貰はねばならぬ。」
 雪子は顔を挙げない。
「それに御前は帰る先のない寂しい人だ。」
 此の時、泣き声が洩れた。
「姑はあの様な善い人だ、勝清とても御前の知つての通りの男、たゞ一時の霧に迷つたのだから、今にもう気が附くだらう。然し勝清も非道い、あんまり(※5)だと言はねばならぬ。御前が心を尽して待遇(あしら)ふのに察しがないのは実に無理だ、……それに子が出来たといふぢやないか?」
 雪子は涙の儘に点頭(うなづ)いた。
「勝清も知つて居るのだらう?」
「はい」
「劇しく迷つたものだ」かういつて、四辺(あたり)に眼を配ると、花は二三片風に散つて、無常の色は春にも見えた。午後の日影は寂しう青い石の上を照した。
「雪さん、嘸つらいであらう、これ迄よく辛抱したね、御父様(おとうさん)や御母様(おつかさん)が生きて居られたら、御前もその様な憂い目はすまいもの、そこが身の運だと諦るより外には……私の位地としても、御前の悲哀(かなしみ)を黙つて見て居る訳には行かぬが、雪さん、私もつらい事がある(。)(※6)私は勝清に向つて、言ひ度い事は山々ぢや、道理を聞かせて、彼の迷霧(まよひ)を晴さしたい事は如何(どれ)程だか知れぬ。言ふべき道理(すぢ)もよく承知して居る。注告の法も飽く迄心得て居る。けれど雪さん私の身も察して呉れ!」

(※1)原文一字判読不能。
(※2)原文句読点なし。
(※3)原文圏点。踊り字は「く」。
(※4)原文閉じ括弧なし。
(※5)原文圏点。
(※6)原文句読点なし。

底本:『京都日出新聞』明治44年4月2日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(最終更新:2007年2月26日)