梅一輪、一輪宛(づつ)の暖かさが高じて、昨日今日墨堤にはチラホラ(※1)綻びかけた花もある。三月の末つかた、はやそろそろ花見に洒落こむ気の早い都の人もあつた。隅田川の評判に刃向ふ仕打か、上野にもどんより(※2)と花の雲が懸つた。さあかうなると公園の賑ふ事は非常なものである。
電燈は青葉交りの花影を照して、夜と雖も集つて来る客は潮の様である。
ベンチに腰懸けて内証で話して居る男と女がある。不忍の池に映つた花行燈の影を眺めて、坂の上に憩つたのは散歩の疲労(つかれ)を宥むる為であらう。
「おい! さあ、もつと歩かうぢやないか」
「貴方、もう帰りませうよ」
「疲れたのか、意気地無しだね!」男も立ち上らうとせぬ。「ではもう少し此処で話さうか?」
「えゝ」と女は浮かぬ調子である。
「やはり帰りたいのか」
「私、こんな雑沓(ひとごみ)の所に居るのは厭だわ!」
「妙だね、まさか人間が怖い訳でもあるまい」
「もう帰りたいわ!」と恨む様に云ふ(。)(※3)
「何故其んな事を言ふのだ。今日始めて来たのぢやないか、二人で一緒に出たのはたつた今夜きりぢやないか」
「ですけれど」
「ですけれどと言つたつて、折角迷ひに迷つて出懸けて来て、今から帰るのは実際物足らぬぢやないか」
「貴方と二人きりの方がいゝわ!」
「だから二人で散歩しようぢやないか」
「私、奥様に出逢やしないかと心配でならないわ!」
「逢つたとて、関(かま)はぬぢやないか?」
「私はかまわぬけれど、貴方が迷惑だわ!」
「今日は大変沈むでる。気分が悪いのか? 大丈夫だよ、看病人を為て居るのぢやから滅多に来るものか。」
「だけれと(※4)判らぬわ、それよりか家へ戻つたら其(そん)な心配は少しもなくて安気で貴方の傍に居れるわ!」
「可笑しいね、呆気ないぢやないか」と男はさも物足らぬといふ風に言ひ放つ。
「私が悪う御座いますわ」声は潤んで居る。
「それぢや今から帰る事にしよう!」
二人は樹木の蔭になつて居た。後には人の雪崩がざわゞゝ(※5)と通つて行く。ベンチとベンチとの間に余程隔つて、二人は人目に附き難い様な所を選むだらしい。女は男の為に蔽はれる様にして居た。
「我儘ばかり言つてすみませぬわ!」声は至つて細いが媚びる様な言葉遣ひ(。)(※6)
「私本当に気が気でないですもの!」
「つまらぬね、では又今次(こんど)来る事にして、今夜はもう帰らう!」
「嬉しいわ!」急に元気附いて立ち上つた。男も同時に起つた。
振返つた途端、後ろに近う一人の男が意味有り気に立つて居た。鳥打帽を被つて筒袖を着た男! 此時早くも踵を返した。女の眼には疾くに映じたと見える。
「いやだ!」
「馬鹿にしてるぢやないか」と男も同威(※7)である。
勝清と芳江とが打連れて外出したのは、相馴れてから抑(そもそも)これが初めてゞある。勝清は面白う暮さうと思つて、拒むのも無理に芳江を連れ立つた。今日は土曜日である。昼間散歩せようと勧めても芳江は頭から不承知であつた。強いて納得させて漸く夜になつてから公園を巡つたが、まだ幾何(いくら)も経ぬ内に、芳江は暗い木蔭のベンチを選んで勝清と共に語るのであつた。そして早や、帰宅の願を持ち出したのである。勝清は大に不賛成である、夜はまだ早い、人の出は此からである。けれども芳江に反抗する勇気は寸分も持たぬ。たゞ恨めし相に、手を取つて歩く人を瞻(みつ)めて居るのであつた。
(※1)(※2)原文圏点。
(※3)原文句読点なし。
(※4)原文ママ。
(※5)原文の踊り字は「ぐ」。
(※6)原文句読点なし。
(※7)原文ママ。
底本:『京都日出新聞』明治44年3月31日(第4面)
【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」
(最終更新:2007年2月26日)