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あら浪 第二十五回 郊外の遊猟

不木生

 朝鮮は内地と異(ちが)つて一段寒い。十一月の始めにはや、屋根には霜が咲き、水には氷が蓋をして、風は地を凍らし、雨は霰を交ふるのであるが、郊外の遊猟は此期に入つて殊更に獲物多く、猟客は織るが如く、原野の賑はしさは又格別である。
 六、七月頃は夜、熊などの猟もあるが、冬期になりては鴨や鴫や、選取(よりどり)の有様である。
 猟装凛々しう、何れも身軽に出立つた二人の紳士は井上と大村である。肩から掛けた銃と革嚢、思ひ思ひの獲物を想像して、今日は早朝からこの野原を蹂躙せむと、来たのである。
 木立は寂しう並んで、崩れかゝつた人家が点々斑々(ちらりほらり)、道は長く長く伸びて、彼方の山に繋がれ、たゞ見る渺茫の高原、村も森も黒子の様である。遠くは紫近くは緑に重なり合つた山を睨むで大村は例の快活な調子。
「遊猟(これ)ばかりぢや、自然と戦つて、自然を征服し得るは、幽玄なところがある。浩然の気は思はず養へる」
 溝を超え、土手を踏んで歩くと、鋭い風が無闇に耳殻(みみたぶ)を鳴らす。
「中々の気焔だな」と井上は浮かぬ顔。
「時に近藤の消息は依然として聞かぬぢやないか」と大村は真面目な声。
「おゝそうだ」
「彼も中々好きぢやつたよ!」
「そうだ、いつか三人で熊を生捕つた事は忘れられぬ」
「うむ」と甚(いた)く沈むだ調子。
「まあ折角の元気ある行動に塞いではいかぬ! おい大村!」宥める様に云ふ。
「兎に角、眞島君に話して見るよ!」
「それもよからう(。)(※1)巡査は巡査だけに其道だから、まあ其は後だ、今日は獲そうだ!」
 荊棘を踏み、芥を散して麓の村に来た。軒の間、薮の蔭を通り抜けて辻堂の前へ出ると、二人は一個の旅僧に出遇つた。
 竹の編笠を斜に被(き)て、墨染の法衣(ころも)に、丈余の竹杖を携へ、顎には鬚が枯芝の様に生へ、奇骨蒼然の桑門(よすてびと)、白く包むだ脛の下には端然に草鞋を穿いた。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
 双方、顔を見合せた儘無言で過ぎた。其時井上の眼に、旅僧の背負包の上の黒い文字が触れた。井上は振返つて立止つた。
「おい! 如何(どう)したのぢや?」
「待てよ」いひ様井上は旅僧の方に駆け出した。大村は魂消(たまげ)た。
「若し若し」井上は追付いて呼んだ。
 旅僧は念珠を爪繰つて振向く。
「愚僧に用事が御座るか?」と奇異の念(おもひ)
「一寸御伺致したい事が……」
「それは又如何な事で」落付き払ふ。
「突然ですが、貴方は日本から此方へ御巡遊(おめぐり)になつたのですか」
「如何にも其の通り、愚僧は諸国を遍歴して仏道の修行をなす者であるが」
「失礼ですが御芳名は?」
「井上諦覚(たいかく)と唱へる、俗名を俊吉と申した。そうゆう貴君は?」
「それでは恐れ入りますが、あの辻堂まで御運び下さい。申上たい事がありますから。」
 大村は呆気に取られた。井上は大村に走り附いて、耳元で熱心に囁いた。大村は点頭(うなづ)いた。
「ぢや井上、僕一人で代理をつとめて来よう!」
「失敬するよ!」
 大村は忽ち家の後に隠れた。
 旅僧は云はるゝ儘に従つた。
 二人は辻堂に腰を下した。念仏の声厳かに旅僧は語る井上の顔を見詰めた(。)(※1)
「御迷惑でした」と前置して「実は私は今総督府の書記をして居る者で名は井上時雄と申します、父は井上傳蔵……」
「では貴君(あなた)が井上傳蔵の……」と色が動く。
「叔父さんぢやないんですか?」
「おゝ!」
「不思議です!!」
「思ひも寄らなかつた!!!」

(※1)(※2)原文句読点なし。

底本:『京都日出新聞』明治44年3月28日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(最終更新:2007年2月26日)