一杯の牛乳(みるく)を飲み干した井上は更に語勢を強めた。
「けれど大村! 君は実際、僕や近藤に比べて幸福だよ、然し僕等の味つた所謂苦痛の幸福なるものは君は得ないであらう。なる程僕は今、養父の許に一通り幸福な日を送つて居る、が其処には云ふに云はれぬ苦痛が隠れて居る。堪へられぬ悲哀が潜んで居る。これも皆父の罪悪が子に酬いたんだよ。僕は実の父を決して恨んではゐない。否恨むべき道理がない。父の罪悪が薄命の子に報はれたんだ。然し致し方がない。父が自分に斯様(こん)な運命を与へて呉れた以上は、子として保たにやならぬ。」
「うむ尤(もつとも)ぢや!」
「然し僕が不憫でならぬのは僕の妹だ(。)(※1)爾来二十年間、全く逢はずに暮した。顔の見覚えもない、これ迄は周囲の事情の為に、考へ及ばなかつた。今漸う家庭が順調に向きなほつた時、僕は妹に逢ひたくて、逢ひたくてならぬ、妹は一人身だ、女だよ、どれ程心細う、どれ程艱難してるかは想像以上だ、或は死んで居るかもしれぬ。実は此頃から僕も夢見が悪い、君は親友の近藤と判断し、僕は憐(あはれ)な妹を思ふのだ、だから今君が話した事も不思議と思はぬ(。)(※2)近藤が日本に居ると思ふと、僕も妹に逢ひに行きたくてならぬ。けれど何時出かけられる事だやら…」と急に力が抜けた。大村は井上の言(ことば)に堪へず同情して、一言一句に黙頭(うなづ)いた。
「そうぢや、考へて見ると、君の妹は大に悲痛なる生活を送つてるぢやらう(。)(※3)然し或は君の思ふ程でもなく幸福な身になつて居るやらわからぬぢやないか?」
「そうかもしれぬ、けれど悪運は、極端に走るものだからな、」と沈むだ調子(。)(※4)
「ぢやが禍を転じて、福となす事は多い。恃(あて)にはならぬが、女は結局弱いものぢやからな、死地に陥れる神はなからうて。」
大村の持つた巻煙草の火が盆の上に溢(こぼ)れて居たミルクの中に落ちて、ジユツといつて儚ない運命を泣いた。井上は更に、
「然し君二ヶ年も逢はぬと全く他人だよ、けれど、僕の脳裡から、妹を去つた日は一日もない、絶へず逢たい、見たいと思ふ故か、時としては妹はもう死んだといふ夢を見たり時としては相抱いて語る夢を見る事がある」
「逢ふ暁が近きにあるのだぜ、妹も必ず生きて居るよ、君の事を思つて居るよ」
大村はこれだけを言つて、又思ひ出した様に。
「けれど近藤の身は、其妹もないんぢやよ、逢はうと楽しむ人も持たぬからな、彼は全く云ふに云はれぬ寂しい身ぢやないか」
「うむ我身に引き較べて同情する。丁度彼の身は水の様なものだ。滝つ瀬となつては磐石をも砕くが、道の上の溜水となつては空しく腐敗する計りだ。而も浮世の海に交つては、辛い人情の潮に揉まれ、且つ荒波に打たるゝんだ。実に近藤の身に幸福のあらむことを望むよ。いや何。其内に又例の調子で何とか突飛な消息を齎すであらう」
大村は此の言葉に甚だしく元気づいた。
「そうぢや、尤もぢや、腹が減つたから、夕飯と麦酒(ビール)とを誂へて、近藤と君の妹の健康と幸福を祈らうぢやないか?」
「それも面白い!」
大村は婢を呼んで、求むる物を誂へた。丁度其時、隣の机に三人の日本人が腰を掛けたので、二人の話はパタリと止むだ。
大村も井上も総督府の書記である。大村は三週間義州へ遣はされて昨日帰つた。家への帰り路で、義州の話を井上はゆつくり聞かうと此所(ここ)に立寄つて談話(はなし)は思はず他(よそ)の方に走つたが、丁度此時話は転じて義州に転(※5)つたのである。
(※1)(※2)(※3)(※4)原文句読点なし。
(※5)読み仮名がついているが判読不能。
底本:『京都日出新聞』明治44年3月20日(第4面)
【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」
(最終更新:2007年2月26日)