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あら浪 第八回 本能の命

不木生

 女は未だ吃逆(しやくり)を止めなかつた。
 飽く迄美はしい顔と、堪え難い肉の香薫(かほり)とに依りて、勝清の心は酔つた。
「一体如何(どう)いふ訳なのですか。」かう尋ねた時胸の動悸は著しく高くなつて居た。
「誠に御親切に……有難う存じます、では一通り聞いて下さいませ。」かういつて勝清の方に顔を挙げた。其時五体が融けるかと思ふ程奇麗であつた。勝清は凝乎(じーつ)と眼を放さなかつた。
 五歳(いつつ)の時迄に両親を失つたこの女は新井芳江といつて、岡山の相当に資産のある一人娘として生れた。叔父が悉く財産を併呑して漸く芳江を高等小学校に入れたばかりであつた。慾の深い叔父と叔母との許で、芳江は幼少より人知らぬ憂い目辛い目をした。其挙句芳江を自分達の息子に娶せようとした(。)(※1)其息子といふのが一口に痴者(ぼんやり)であつて芳江は早くから嫌つて居た。ところが義理の親からは恩愛と義理との二つ道具で芳江を納得せしめ様とした。けれども芳江は厭でならなかつたから断然(※2)(しりぞ)けた。すると叔母は腹に腹を立てゝ、随分聞くに忍びない事を言つた。話しに行く親戚は一人もなく、たゞ旧の学校長が芳江の身を憐んで親切に慰めてくれたので、其処へ話しに行くと遂には叔母が知つて、怪しい関係(なか)だなどゝ校長にまで迷惑を掛けた。けれど校長は間もなく死なれた。ところが叔父は芳江を再三物の蔭へ連れ込んで、云ふも汚はしい事を言ひ寄つた。或時叔母が其を見附けた。すると嫉妬の角を生して出て行けよがしに云ひ出した。而も口癖に云ふ様になつた。芳江は其場で死んでしまほふと思つた。けれどどうかして恨を返さうと秘かに決した。其挙句一通の書置を残して家を出た。朝鮮へ渡ると書いては来たが、そんな覚悟は更にない。女ながらも東京へ出て、一奮発しようと汽車に乗つたはよいが、運も悪く持病の僂魔質斯(りうまちす)が再発した。如何にも堪え難い所から塩原の温泉を尋ねて、一週間前から銀月楼といふに宿泊した。扨一人になつて見ると、行末が押し詰つた様に思ひ、足の痛みは益(ますます)気になる、其上叔父叔母の仕打の鬼にも蛇にも更へられぬ憎さを思ふと、寧(いつ)そ死んで恨を返さうと出懸けて来たのである。
 芳江は巧に語つた。細々として而も力ある一句一句を勝清は正直に聞いた(。)(※3)
「なる程御気の毒です、けれど其れで死ぬのはあまり心が狭いです、折角の決心も無になります」漸くこれだけ云ひ放つた。
 芳江は深く俯向いた。
「然し考へますと、私の様な者では迚も駄目ですから、やつぱり死……」
「いや馬鹿な馬鹿な」打消す様に言つた(。)(※4)芳江は更に改つた。
「今申し上げた通の様子ですからもう二度と帰らぬ決心ですし、叔父や叔母も待つては呉れませず…いえ其れは喜んで居ます…けれど足の病に苦しめられては、生きて居たとて此の先どうなるかと……」
「それは取越苦労です!」といつたけれど、そう考へるも無理はないと思つた。「先づ病気を治す工夫をしたら好いでしよう!」
「そうでしようか」芳江は力なく悄然(しほ)けた。
「気を狭く持つてはいけませぬ!」
 勝清は此際云ふべき言葉がなかつた(。)(※5)芳江は再び泣き始めた。勝清は一層驚いた。「貴方! どうしたらよいでしようか」芳江は泣きながら訴へた。勝清は暫く考へた。(※6)兎も角今日は帰ることにして又ゆつくり相談しましよう!」
「色々と御世話様になりまして」かういつたけれど芳江は中々立ち上らうとせなかつた。
 勝清は内心紛糾を覚えた。けれどこの際たゞ本能の命に従ふの外はなかつた。善悪真偽を冷静に考へ得る理性を彼は持たなかつた。彼は今芳江と同じ境遇の人となつて考へたのである。
「僕も病気挙句ですから、早く帰らなくてはなりませぬ」勝清はこういつて立上つた(。)(※7)「其辺まで一緒に歩きませう!」

(※1)原文句読点なし。
(※2)原文ママ。「卻」の誤植か。
(※3)(※4)(※5)原文句読点なし。
(※6)原文括弧欠け。
(※7)原文句読点なし。

底本:『京都日出新聞』明治44年3月11日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(最終更新:2007年2月26日)