野州塩原は天下の勝地である。憂(うれひ)を散ずる山がある。病を治す温泉がある。心を洗ふ川がある。世事を忘るゝ空気がある。恨怨(うらみ)もなく嫉妬(ねたみ)もなく争闘(あらそひ)もない塵外の天地を誰一人喜ばぬものはない。
もう秋も末だ! 真紅に山を染めた楓葉(もみぢ)も大半(おほかた)散つてしまつて、行先知れぬ遠い所へ渓谷の間を流されて行く、やはり哀切(あはれ)な時節である。
温泉のある村には旅館がある、谷に臨み瀑を控へた秋風楼。其二階から、断雲が梭(ひ)の様に飛ぶ空を眺めて、喃々と語る三人の男女がある。
欄干(てすり)に腰を掛けたのは、病気の故(せい)かもしれぬ、頬の色が少し弱くて、陰鬱的(メランコリツク)な笑ひ方をする二十六七の男である(。)(※1)高貴織の袷に、共の羽織を軽く着て、白縮緬の兵児帯の前に、時計の鎖がダラリと光つて居る。間近き柱に沿つて立つて居る細君は、御召の袷の下から、鮮かな友僊(ゆうぜん)を覗かせ、空色の襦袢の襟に刻むだ菊の花が、大名の羽織に似合つて、若葉織の帯に、クリーム色の帯上が心地よい。二人の談話に口を挟むは附添の婢(をんな)である。
日は未だ高いが、翠巒(すゐらん)の為に渓(たに)は影ろつて、巌を切り通す奔流が囂々といつて、蓋し無意味に流れて居る。老松細瀑の色が一種の魅力(チヤーム)を以て瞳孔に迫る。三人は湯上りと見えて頬に特種の艶を出して、冷たい空翠を縦(ほしいまま)に掬した。
自然は見る度に、態度を変へて居る。観るものは為に飽かぬ。而もこの露骨(むきだし)の自然に対しては、誰も先づ其勝を賞むる。
「何ともいへぬ好い景色だ」男はいふ。夫婦間の話は単純である。途切れた時は大抵景色が持ち出される。
「御母様が見えて居ましたら嘸お喜びでしよう!」
「そう! そう云ば二年前を思ひ出す」かういつて婢(をんな)の方を振向いて「あの時はお清も居たつけ、そうだまだ十六ばかり。我儘ばかり云つて居たよ!」
「アラ旦那様は随分お口が悪い」かういつてお清は赤くなつた顔を細君に向けた。
「だつてそれは本当だわ!」
「奥様までがマア」と呆れる。
男は話を転じた。
「病気は全く厭だね。死に一歩近寄つてるんだから心細い、そればかりでなく、側(はた)に看護(つい)てる者まで同化してしまふ。其上今度の病気はこの年まで始めての大病だつた。」
「本当に御可愛しう御座いましたわ」
「けれど病気の回復(なほ)つた時程又と心地の好いものはない、物事が格別新しく見える」
健康を保つ人は健康の楽(たのしみ)を知らぬ。馴れて居るからである。丁度自分が締めて居る帯を忘るゝと同じだ。健康の楽(たのしみ)は、病ある人により始めて痛切に願はるゝものだ。
「然しこれは全く雪さんとお清との賜物だ」かういつて又直に「塩原の空気も与つて力がある」
お清は打消す様に云ふ。
「旦那様が御病気だと本当に寂しう御座いますね」
「そうだわ」と雪子が附加へる。
「御隠居様だつて御一人でお弱りですよ。旦那様が見えませぬと、一日も……千秋とやら……」
「ヤア中々お清は学者だ!」
「あら又お冷笑(ひやかし)になる。でも旦那様がよく仰しやるではありませんか?」
「だからさ覚え性が善いといふのさ」
「後生ですから止して頂戴!」
雪子は楽しかつた。良人(をつと)の病の快癒は、我が手柄の様に思はれた。良人(をつと)が苦しんだ時は自分も苦んだ。寝ないで介抱したのは度々であつた。それだけ良人(をつと)の快癒を楽まざるを得なかつた。
丁度二年前彼等は母を加へて、楽しき新婚の夢を、この塩原に貪つた。それが不思議の縁となつて、今は転地療養の為に選ばれたのである。
(※1)原文句読点なし。
底本:『京都日出新聞』明治44年3月7日(第4面)
【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」
(最終更新:2007年2月26日)