『日本探偵小説を読む:偏光と挑発のミステリ史』 押野武志・諸岡卓真編著 北海道大学出版会 3月29日発行
井上貴翔「指紋と血の交錯――小酒井不木「赦罪」をめぐって」は、小酒井不木の掌編「赦罪」(一九二七年)を、発表当時の指紋に関する言説の中で詳細に読み解いたものである。「赦罪」の発表時期は、日本において指紋による個人鑑別法の導入期にあたっている。井上論によれば、指紋は単に個人をアイデンティファイする役割を担うだけでなく、国家による「国民」の登録・管理の一手段ともなる。また一方で、導入期の指紋言説には民族性と関連づけて語る疑似科学的なものもあった。つまり、「指紋」は二重の意味で「国民国家観」と結びつくものだったのである。井上論では、これらの言説の編成を確認した後で、小酒井不木「赦罪」がどのように「指紋」言説を導入し、そしてずらしているのかを詳細に検討している。本論を読めば、「指紋」をめぐる様々な力学が重層的に働いていることが確認できるだろう。
『日本探偵小説を読む:偏光と挑発のミステリ史』 押野武志・諸岡卓真編著 北海道大学出版会 3月29日発行
→ 初出:「「一寸法師のスキャンダル――乱歩と新聞小説」(『国語国文研究』 北海道大学国語国文学会 第121号 2002年7月発行)
例えば探偵小説草創期にあって、理論家、実作者、翻訳者など多面的に活躍した小酒井不木はその一方で医学者であり、「不具と犯罪」(『新青年』一九二四年八月号)の中で「不具変質者〔中略〕は、同時に性的エネルギーにも障害を持つて居るものであつて、即ち性欲は異常に弱いか、或は反対に異常に強いものである」とし、また一種のひがみから「かくて不具者は猜疑的であり、破壊的であり、復讐的であり、残忍であり、また悪性である。ことに適当な教育を受けない場合には、かゝる危険性は愈よ顕著である」というように、不具者と犯罪や性欲を結びつけている。
『日本探偵小説を読む:偏光と挑発のミステリ史』 押野武志・諸岡卓真編著 北海道大学出版会 3月29日発行
→ 初出:「「“徴”としての指紋――小酒井不木「赦罪」を中心に」(『北海道大学大学院文学研究科研究論集』 第8号 2008年)
『東海の異才・奇人列伝』 編著者:小松史生子 風媒社 4月20日発行
医学者で探偵小説家小酒井不木の助手になることができた。ところが岡戸の仕事は、不木が出版社から頼まれた「闘病術」の執筆であった。岡戸は自身経験した結核の療養法を書いたところ、読者の評判もよくてベストセラーとなった。ただ、共著ということで了解していた出版社が不木単独の著作とすることを強く主張し、結局共著とはならなかった。不木は一九二九年、急病で亡くなった。
『東海の異才・奇人列伝』 編著者:小松史生子 風媒社 4月20日発行
伏せ字の部分は「幸徳秋水ら」あるいは「幸徳伝次郎」あたりであろうか、幸徳事件(「大逆」事件)の死刑執行が、同年同月二十四日(管野スガのみ翌二十五日)であり、この事件のことを指していることは間違いない。社会主義思想への無理解はさておくとしても、また親しい若者同士の励まし合いとして強がり・背伸びもあるにしても、いかにも優等生的な社会進化論的言辞には思わずため息が出てしまう。
ここにある《強者》という言葉を身体壮健という意味で理解するならば、二十四歳にして結婚、大著刊行……と順風満帆に《強者》へと進み行くかと見えた不木は、まもなく《強者》でなくなる。一九一五年十二月、結核に罹患。
『東海の異才・奇人列伝』 編著者:小松史生子 風媒社 4月20日発行
三高・東大医学部時代を通じて頼りになる兄貴分として不木を慕っていた古畑は、不木の助言もあり法医学の方面に進み、その道の大家としてのちには警察庁科学警察研究所所長を務めるに至る。
海外留学中の不木の日記を読むと、不木が古畑の論文を手伝っていたこともわかる。不木がもっと長生きし、血液学の研究を継続していたら、古畑はどうなっていただろうか。
『東海の異才・奇人列伝』 編著者:小松史生子 風媒社 4月20日発行
(前略)国枝史郎が新居の文化住宅をこの地に建てたのも、実は当時の新舞子開発計画の一端である。名古屋の著名人で国枝の知友である小酒井不木のサマーハウスも近所にあったようだし、妻の末子の回想によれば「名古屋に近い新舞子に住いがありました頃は、庭に四坪半程の広さの温室をつくりまして、応接間のように籐の椅子に丸テーブルを入れ、洋花の中でお客様をおもてなしした」そうであるから、その洒落た文化的生活の様相がうかがい知れる。
『臨床看護』39巻5号 4月発行
『臨床看護』39巻6号 5月発行
『臨床看護』39巻7号 6月発行
『三田社会学』 No.18 三田社会学会 7月発行
闘病記には、必ずしも「病いと闘う」という意味が共有されているわけではない。
「闘病」という言葉が1920年代に医師であり、探偵小説家でもあり、10年来の結核を病む患者でもあった小酒井不木によって考え出されたこと、「医術は他力本願、闘病術は自力本願」と当時の安静療法、サナトリウム療法に対して、四六時中病いと闘う意識が必要であると結核に向き合う自らの精神力の鍛錬を説くものであったこと、さらに「闘病」は、挙国一致体制を掲げて大陸へと侵略を開始した当時の社会情勢と重なり、ベストセラーとなった小酒井の2冊の著書(小酒井 1926,1927)や新聞雑誌等のメディアを通して一般化したこと、その後闘病体験記や闘病手記などが「闘病記」と後に一元化されていったことについては、拙著に記述しており、本稿では割愛する。
『臨床看護』39巻8号 7月発行
『臨床看護』39巻9号 8月発行
『変格探偵小説入門――奇想の遺産』 谷口基 岩波書店 9月18日発行
日本における創作探偵小説の歴史が芥川龍之介、菊池寛、谷崎潤一郎、佐藤春夫らの試みを前提とし、江戸川乱歩、横溝正史らの努力によって新しい地平が切り拓かれたという説は今や誰もが知る。そうした中で顧みられることは少ないのだが、この中間にあって雨村とともに、卑俗に堕しない、理想的な探偵小説の創作を提唱すべく啓蒙活動に邁進した人物こそが、小酒井不木であったということなのだ。乱歩登場前夜の『新青年』を舞台に、不木がその持てる知識と教養を挙げて、探偵小説における知的娯楽性の価値を語ってきたがゆえに、品格ある文学ジャンルとして、探偵小説のイメージが読者間に涵養され、共有された、と。
『臨床看護』39巻10号 9月発行
『臨床看護』39巻11号 10月発行
『臨床看護』39巻13号 11月発行
『臨床看護』39巻14号 12月発行