参考文献/資料集 2013(平成25)年

(公開:2017年10月13日 最終更新:2017年10月20日)
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4月

異色の表現者1 岡戸武平 / 斎藤亮

『東海の異才・奇人列伝』 編著者:小松史生子 風媒社 4月20日発行

 医学者で探偵小説家小酒井不木の助手になることができた。ところが岡戸の仕事は、不木が出版社から頼まれた「闘病術」の執筆であった。岡戸は自身経験した結核の療養法を書いたところ、読者の評判もよくてベストセラーとなった。ただ、共著ということで了解していた出版社が不木単独の著作とすることを強く主張し、結局共著とはならなかった。不木は一九二九年、急病で亡くなった。

異色の表現者1 小酒井不木 / 山口俊雄

『東海の異才・奇人列伝』 編著者:小松史生子 風媒社 4月20日発行

 伏せ字の部分は「幸徳秋水ら」あるいは「幸徳伝次郎」あたりであろうか、幸徳事件(「大逆」事件)の死刑執行が、同年同月二十四日(管野スガのみ翌二十五日)であり、この事件のことを指していることは間違いない。社会主義思想への無理解はさておくとしても、また親しい若者同士の励まし合いとして強がり・背伸びもあるにしても、いかにも優等生的な社会進化論的言辞には思わずため息が出てしまう。
 ここにある《強者》という言葉を身体壮健という意味で理解するならば、二十四歳にして結婚、大著刊行……と順風満帆に《強者》へと進み行くかと見えた不木は、まもなく《強者》でなくなる。一九一五年十二月、結核に罹患。

異色の表現者1 古畑種基 / 山口俊雄

『東海の異才・奇人列伝』 編著者:小松史生子 風媒社 4月20日発行

 三高・東大医学部時代を通じて頼りになる兄貴分として不木を慕っていた古畑は、不木の助言もあり法医学の方面に進み、その道の大家としてのちには警察庁科学警察研究所所長を務めるに至る。

 海外留学中の不木の日記を読むと、不木が古畑の論文を手伝っていたこともわかる。不木がもっと長生きし、血液学の研究を継続していたら、古畑はどうなっていただろうか。

異色の表現者1 国枝史郎 / 小松史生子

『東海の異才・奇人列伝』 編著者:小松史生子 風媒社 4月20日発行

(前略)国枝史郎が新居の文化住宅をこの地に建てたのも、実は当時の新舞子開発計画の一端である。名古屋の著名人で国枝の知友である小酒井不木のサマーハウスも近所にあったようだし、妻の末子の回想によれば「名古屋に近い新舞子に住いがありました頃は、庭に四坪半程の広さの温室をつくりまして、応接間のように籐の椅子に丸テーブルを入れ、洋花の中でお客様をおもてなしした」そうであるから、その洒落た文化的生活の様相がうかがい知れる。

9月

第四章 医文学者の変格――小酒井不木の「健全」と「不健全」 / 谷口基

『変格探偵小説入門――奇想の遺産』 谷口基 岩波書店 9月18日発行

 日本における創作探偵小説の歴史が芥川龍之介、菊池寛、谷崎潤一郎、佐藤春夫らの試みを前提とし、江戸川乱歩、横溝正史らの努力によって新しい地平が切り拓かれたという説は今や誰もが知る。そうした中で顧みられることは少ないのだが、この中間にあって雨村とともに、卑俗に堕しない、理想的な探偵小説の創作を提唱すべく啓蒙活動に邁進した人物こそが、小酒井不木であったということなのだ。乱歩登場前夜の『新青年』を舞台に、不木がその持てる知識と教養を挙げて、探偵小説における知的娯楽性の価値を語ってきたがゆえに、品格ある文学ジャンルとして、探偵小説のイメージが読者間に涵養され、共有された、と。