『『新青年』読本全一巻――昭和グラフィティ』 『新青年』研究会編 作品社 2月20日発行
(前略)
不木が昭和四年のその死まで、わずかな年月の間に『新青年』にはたした役割は、はかりしれない。翻訳家、創作者としての活躍にくわえ、江戸川乱歩「二銭銅貨」を推輓した批評眼。さらに特筆すべきは、犯罪科学読物という、科学的知と文学的エクリチュールおよび身体性が交通するジャンルを開拓したことだ。ルブランの「科学は不思議を殺すのではなくして、不思議を浄化するものである」という言説をうべなう彼の諸編には、自然科学的知がその黎明期にもちえていた秘術としての豊かさがあふれている。
『『新青年』読本全一巻――昭和グラフィティ』 『新青年』研究会編 作品社 2月20日発行
乱歩登場に際して小酒井不木は、これが探偵小説作家輩出の“導火線”となることを祈ると書いた。『新青年』の顧問格の長谷川天渓、馬場孤蝶はもとより、不木や平林初之輔らの評論活動は、創作探偵小説揺籃期から充実期への発展を支え、良き刺激剤だった。
(中略)乱歩は『幻影城』所収のエッセイで、平林ほど「初期の私をあるいは喜ばせ、あるいは恐れしめた批評家」はなかったと述懐している。彼が作家専業を決心するとき、小酒井不木の判断を仰いだ事実なども考え合わせると、当時の乱歩にとってこの二人の存在が随分大きかったことがわかる。
いや一人乱歩に限らず、創作探偵小説全体の生育にとって、平林や小酒井、さらに佐藤春夫・千葉亀雄・木村毅や『新青年』の翻訳者たち、また「マイクロフォン」欄に投稿した読者らの発言は貴重な養分であった。こうした熱い空気の中から、延原謙編「欧米探偵作家著作目録」(大十五・新春増)といったマニヤックな記事も生まれてくる。増刊号を中心とした多彩な翻訳物とともに、周辺の記事は創作探偵小説の裾野を拡大深化する役割を果たした。
『『新青年』読本全一巻――昭和グラフィティ』 『新青年』研究会編 作品社 2月20日発行
草創期の探偵小説作家に、小酒井不木、正木不如丘、木々高太郎、甲賀三郎、延原謙ら、自然科学を専攻したものが多かったのは事実である。それにくわえて、法医学の古畑種基、精神病理学にくわしい浅野(※)一、警視庁鑑識課技術官乙葉辰三らが執筆した記事はかなり専門的で水準の高いものであった。彼らは、化学・薬学・生理学・心理学、電気・機械工学から警察・裁判制度、暗号理論・解釈学にまでおよぶ雑多な知識を、そして〈科学〉的思考法なるものを、提供した。探偵小説の〈科学〉的価値を正当に評価する土台として、というのが表向き〈犯罪科学〉の存在理由であった。
(※)本文ママ。「浅田」の誤植か。
〈犯罪科学〉なる〈科学〉には、ある種のいかがわしさ、またそれゆえの魅惑がある。〈科学〉という概念の名のもとにありとあらゆるものを投げ込んでしまう心性。それは、〈科学〉の通俗化あるいは〈科学〉崇拝とかたづけるにはあまりに過剰だ。
(中略)
たとえば小酒井不木「血液の秘密」(大十一・8臨増)。血液という対象をめぐって、その生化学的組成、研究史、諸文明における血液の象徴性、犯罪解明の際の血液分析の役割、血液の病い、遺伝、といった多数の視点からなる陳述がなんの中心化もうけずに、並置される。「化学及び医学を口にするものは」「医学者は宇宙学者でなくてはならぬと言つた」「パラセルズス(パラケルスス)を忘れてはならない」(「文芸復興期の追慕」大十一・6)という関心のありかといい、百科全書風の言述のさまといい、現代のわたしたちからは、まさに澁澤龍彦に連なる系譜と思われるが、本人の確信においてはこれこそが〈近代科学〉だというからわからない。おもしろい。
『『新青年』読本全一巻――昭和グラフィティ』 『新青年』研究会編 作品社 2月20日発行
不木といえば作品に残酷探偵小説が多い。その彼が「なんせんす号」と題された『新青年』にこんな小品(※)を発表している。同じ号でナンセンスノヴェルへの展開が探偵小説の行詰りを救うとも書いている。彼は既に、探偵小説は推理のほかに、怪奇(ミステリ)・凄味(ホラー)・機知(ウイツト)・諧謔(ユーモア)のどれかが必要と述べたことがあった(「犯罪文学研究」大十四・7)。
(※)「断食の幻想」(『新青年』昭和2年5月号)
『探偵小説談林』 長谷部史親 六興出版 7月25日発行
ビーストンの作品は、横溝正史、甲賀三郎、小酒井不木らをはじめ、大正・昭和初期の日本の探偵作家の多くに影響を与えたといわれ、探偵小説創作のお手本として高く評価されていた。
『探偵小説談林』 長谷部史親 六興出版 7月25日発行
→ 初出:『地下室』 126号 1986年5月
『探偵小説談林』 長谷部史親 六興出版 7月25日発行
医学博士という立場から自分の病気を冷然と見つめ、養生に養生を重ねながらこれと断固戦う意欲に溢れていた小酒井不木が、昭和四年四月に不帰の人となってしまったのに対して、甚だ不まじめにも、療養中に看護婦に恋を仕掛けていた岡戸武平の方が米寿を祝うことができたのは、皮肉な天の配剤としかいいようがないが、やはりそれだけ旺盛な生命力に恵まれていたのであろう。彼はかつて雑誌『幻影城』誌上に「博文館の侍たち」という好エッセイを連載したことがあるが、彼自身が“侍”であり、“文士”と呼ばれるにふさわしい、おおらかな風格を具えていたと見ることができよう。
『新・日本SFこてん古典』 横田順彌・會津信吾 徳間書店 8月15日初版発行
→初出:『SFアドベンチャー』 1987(昭和62)年5月号
◎そうか。で、〈子供の科学〉は、いつ創刊されたんだっけ?
◆大正十三年の十月です。〈科学画報〉はその前の年に創刊されていたんですが、その兄弟誌をということで、雑誌名は早くから登録してあったそうです。で、いつ創刊するか考えている時、あの関東大震災が起こり、その震災後の社会の混乱を見て、これは正しい科学を世の中に広めなければいけないと……。
◎へえ。立派な考えのもとに生まれた雑誌なんだな。たしか、初期のころに、日本SFの先駆者のひとりである小酒井不木の小説が連載されていたね。
◆ええ。創刊第二号から、少年科学探偵シリーズの連載が始まっています。
◎ああ、あれがそうだったか。
◆『紅色ダイヤ』ですね。これは、三一書房の『少年小説大系 少年探偵小説集』に入っていますよ。
◎塚原俊男君シリーズだな。
◆かしこい少年で、柔道の強い助手の青年と一緒に、事件を解決するんですね。あまりSFという感じじゃないんですけど、科学的なトリックを使ったり、あるいは、科学的な捜査方法で、事件を解決したりする、おもしろい作品ですね。
◎いや、結構、SFっぽい話もあったよ。王水で金を溶かすやつとか。
◆当時は、まだ、かなり新しい技術だった、復顔術を使って、頭蓋骨から被害者の顔を再現するなんてのもありましたね。あれなんか、さすがは、医者だった作者って感じで、そのあたりの話題に明るいなあと思うんですよ。
◎専門は血清学だ。
◆この少年科学探偵シリーズは、三回で一話完結になっているんですが、きちんと、第一回で事件が起こり、二回で捜査、三回で解決という形式をとって、きっちり構成してあるんです。子供向きですけど、かなり、作者は力を注いでいたようですね。
『新・日本SFこてん古典』 横田順彌・會津信吾 徳間書店 8月15日初版発行
→初出:『SFアドベンチャー』 1987(昭和62)年6月号
◆〈新青年〉と〈科学画報〉がでてくるのが、大正末ですね。
◎えーと、〈新青年〉が大正九年、〈科学画報〉が大正十二年。
◆ここで、SFの二つの路線が敷かれ始めるわけです。
◎大正十三年に、〈子供の科学〉と。そして宮崎一雨が何年だっけ?
◆大正十一年に『日米未来戦』が出てきます。
◎あ、そうか。それから、特異な才能を持った中山忠直という人が、SF詩を書いたのもこの頃。
◆無常感というのか虚無感というのか、大宇宙にたった一人立っているなんて、恐るべきイマジネーションでもって、寂しさを表現していますね。
◎あれはものすごいね。大正十五年になると、小酒井不木が出てくる。
◆『炭素太功記』も十五年ですよ。
◎そうね。小酒井不木が出てきて、また『炭素太功記』などという、これはもうちょっと、本格SFの歴史には入らないけれども傍流として、わけのわからない科学解説SF小説というものが現われる。
『名古屋近代文学史研究』 第85号 11月10日発行