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D・S漫談

久米正雄

 僕はやつぱり探偵小説といふものはロマンチシズムの一つの分派だと思ふな。無論、現代が科学の世界なんだから、科学を取入れる事は差支へないが(、)(※1)いや、科学を取入れなければならないだらうが、併しロマンチシズムを没却して、あんまり科学づめにして了ふのは、感心できないな。
 例へば、小酒井氏のものなんかゞさうだが、尤もあの人は科学者だから、あゝなるのは仕様が無からうが、あれぢや面白くないと思ふね。無論、科学を全然捨てゝ了へと云ふんぢやない。唯科学を扱ふにしても、もつとロマンチシズムに根を下してゐて欲しい。例へば、シヤアロツクホームズの小説に煙草の灰から犯人を探しだすといふのがあるが、その煙草の灰を分析するといふ事は、充分に科学的だけれど、何といふかな、その煙草の灰を分析して犯人をつきとめるといふ事それ自身が小説としては大変面白い空想だと思ふんだよ。つまり僕は探偵小説には、捉はれない空想といふものが、一番大切なものぢやないかと思ふ。
 江戸川氏の小説を、僕はあまり読んでゐないのだが、あの人のものは、どうもやつぱりあんまり理詰めにすぎておほらかな味がないと思ふな。
 あの人の小説に人生がないと云ふがそれはやつぱり、読者をもう一つ、ギユツとつかむやうな力が足りない為ぢやないかな。人生といふものは、自然主義の人生ばかりが人生ぢやないんだから、さういふ意味の人生なら、探偵小説にはあつてもなくつてもいゝやうなものだ。
 それに、読者を感心させる程度が、ある程度迄深かつたら、それだけで相当芸術的だと云ひ得ると思ふ。
 つまり江戸川氏の小説には、その点、まだ足りない処が、あるのぢやないかと思ふ。例へて云つて見れば、ルパンの或るものには、何とも云へぬおほらかな味があつて、無論探偵小説としては、ドイルのホームズのものゝ方が上であらうが、おほらかな空想、捉はれない空想といふやうな方面から云へば(、)(※2)僕はやつぱりルパンのものゝ方が、芸術的だと思ふな。
 このごろは、家常茶飯事の中から、探偵的な興味を発見しようとする事が流行(はや)つてゐるらしいが、もしさういふ事ができれば、大変結構だが、さういふ事は僕の思ふのに、労して効尠しぢやないかと思ふな。
 探偵小説といふものは、ロマンチツクなヒロイズムなのであるから、従つてルパンなども歓迎されるのだらう。そしてやつぱり捉はれない空想を自由自在に駆使してゐるといふ処に、本質的な価値があるのぢやないかしら。

(※1)(※2)原文句読点なし。

底本:『探偵趣味』大正15年10月号

(公開:2014年10月14日 最終更新:2014年10月14日)