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作家未来記

探偵局大正二十年調査

▽江戸川亂歩氏
「探偵小説作家連盟会主江戸川亂歩氏来阪、堂ビルホテルへ宿泊」と大毎や大朝の人物往来へ六号活字で出る。その頃はもう大阪の連中を後足で砂にして東京へ上り日本一の大家となつて居る。勿論頭はゴビの沙漠のやうに禿げて、顔色は益々悪く、眼ばかり異様にかゞやく。大作「血に笑ふ者」「跳ねる白面鬼」など変態的の力作物凄く、「亂歩る」と云ふ言葉流行して、若き男女間に喜ばる。

▽小酒井不木氏
 探偵小説によつて生理学、解剖学、医学の宣伝普及に大功ありしとて、文学博士の号を送らる。ために講談倶楽部新年号などには、「文学博士、医学博士、日本探偵小説の巨星小酒井不木大先生の傑作」などゝ百人一首の肩書のやうな長いものをつけられて「性慾直角」とか、「鳶を喰ふ女」とか云ふやうな力作を発表し、名声旭日の如し。既に発表せし名篇六百六篇に亘り、春陽堂より不木全集の予約出版の広告が出る。

▽白井喬二氏
 大衆文芸の重鎮、遂に筆を大捕物に執り、報知新聞に三ヶ年に亘り連載さる。大正十三四年頃発表されし「富士に立つ影」以来の大作なり。「江戸に這ふ影」別名(黄色人種読むべし物語)と題し、その構想の雄大なる、その研究古事の博識なる、その文筆の尊厳なる「江戸に這ふ影」たる怪賊影法師の三年と名与力桐十郎の争闘を描く。怪賊影法師の三年の性格の怪奇なるに読者一同思はずも唸る。白井氏はこの「江戸に這ふ影」を終わつた頃非常に健康を害され、爾後長篇ものを書くことを断られる。

▽國枝史郎氏
 大衆文芸作家たる同氏も捕物の大雄篇に手をそめらる。氏の病弱なる益々はげしく而もその創作力益々盛んなり。長篇を執筆中のもの二十四篇中。日刊紙上に発表のもの三篇、週刊誌に発表のもの八篇、月刊雑誌に発表中のもの十三篇。日夜創作予定表に基きストツプウオツチ片手に孜々として執筆せらる。世に有名なるもの「悪人極楽」「石川五右衛門と国定忠次と千葉周作」「河内山と自来也」「桐一葉と信濃の吊橋」「緑林黒白七人甚内」などあり。尚聞くところによると氏には三十篇位書く余力ありと、現代驚異の大多作々家なり。

▽前田河廣一郎氏
 余りの探偵小説流行に思はず浮かされて(、)(※1)プロ派探偵小説「一二三」なる大作を発表す。テーマは大泥棒と思つてゐたのが善人の社会主義であつて、大慈善家と思つてゐたのがブルジヨアの大悪漢であつたと云ふ。プロが遂にブルの仮面を剥ぐところを書きつゝ興奮の余り作家が卒倒をしたと云ふやうな一挿話があつたので一層評判になつた。「真実の時代思想にふれた探偵小説はこんなんでなくては嘘だ(※2)と鼻高いとか――。

▽森下雨村氏
 探偵成金となり郷里に宏大なる屋敷を設け、鰻釣りの傍ら、専ら老父に孝養を尽されしが、一夜ルパンと称する賊忍び入り、氏の全財産を盗みて去る。氏輙ち旧友甲賀三郎を招きて探偵を依頼したが、遂に犯罪の端緒だに得ず。茲に於て探偵小説の実生活に於て如何に無価値なるか、広く世間に知れ渡り、流行頓みに衰へはじむ。

▽岡本綺堂氏
 コナンドイル氏と合作にて、『ロンドンと江戸』なる一大長篇探偵小説を執筆中、突然心臓麻痺にて逝去さる。輙ち氏の門弟、憧憬者等相集まり、氏の旧宅跡へ半七の銅像を建て、それに、『日本に於ける探偵の第一人者。』と銘を彫りたるに、明智小五郎氏より抗議を申込まれ、只今紛擾中。

▽春日野緑氏
 大阪毎昼新聞社の社長となり、大いに探偵小説の宣伝に努め、新聞の第一面第一段より第五段に亘りて、探偵小説を連載したが、不思議や読者減る一方にて、ために株主間の問題となり、強制的に社長の椅子を平野嶺夫氏に譲らるる。此の紛擾のため氏の紅顔褪せ果てゝ、今や「幽霊探偵」の山の精の如き容貌となれり。

▽甲賀三郎氏
 森下氏事件の失敗より翻然として探偵小説を断念された氏は、其の後ドイツに渡り、窒素研究中、喰へざるに依り、折柄募集中のアナウンサーを志願し、数十萬の応募者の中より唯一名選抜さる。氏の美声は忽ちにして万都の婦女を悩殺し、その為め破鏡の憂目を見る家庭幾万なるかを知らず。輙ち秩序紊乱の科によりドイツ政府より国外へ追放され、近日帰国の筈だ。

▽横溝正史氏
 薬局を再び開設す。薬局の暇に原稿を書きし大正十三四年頃の方が矢張り愉快で楽しかりしとの言なれども――或は思ふに執筆の種切れとなりしにや。江戸川亂歩氏に次いで、新青年より探偵小説家として現れ一時縦横の筆を駆つて、文芸的のものに、捕物ものに、或は軽い滑稽ものに――遂には探偵映画に及ぶ。
 ブラジル珈琲の中毒病症にかかり苦しむ。

▽山下利三郎氏
 額縁業益々盛大を極む。亂歩や緑をくどいて「名古屋額縁株式会社」を起さんとすれども、両人以前に「三星印刷出版株式会社」で大損をせしことあれば発起人にもならず。ために残念乍ら中止す。

▽本田緒生氏
「本田緒生探偵小説並に諸家批評集」を発行す。批評つきの小説集とて非常なる評判なり。勿論小酒井不木氏の序言を添ふ。

(※1)原文句読点無し、一文字空欄。
(※2)原文閉じ括弧無し。

底本:『探偵趣味』大正15年1月号

(リニューアル公開:2017年3月5日 最終更新:2017年3月5日)