私は仮に原始探偵小説といつてゐる、それは小酒井不木、江戸川亂歩の二氏はじめ、多くの優れたる作家によつて、期割をつけた「創作探偵」の生れ出づる以前可成り遠く、探偵小説の淵源をなしたものをいふのである。
いくらでも物は遡れば多岐にわたらせていふ事が出来る、がさうゝゝ(※1)遡る要を今は認めないで置く。であるから原始探偵小説の作者を初期に於て高谷信顯氏、後期に於て井原々園氏、この二人を先ず挙げねばならないとしてゐる。
K岩涙香氏が翻訳探偵小説を、はじめて新聞に試みた以前にも、翻訳全盛時代のあつた事はいふまでもない。それと同様にはじめて新聞に――と同時に、活字によつて探偵興味の読み物を試みた事も矢張りその時がはじめてだ――純粋な我が日本の探偵物を高谷氏が書いた以前にも、実録風の犯罪綺伝は勿論あつた、たとへば夜嵐おきぬ、高橋お傳、権妻お辰なども一例としてあげてよからう。けれどもそれ等の類型的踏習(※2)的、で日本紙刷の読み本風新聞の形ち(※3)が、草双紙の変生であると同様に、書き方にも一種の型があつて、それら(※4)一歩も出てゐなかつた。高谷氏のはそれ等と較べると新しい勿論比較的にいつてだが、しかもこの人は刑事巡査出身であつた為に力点を探偵に置いた事が、従来の犯人本位とは面目をやや異にしてゐた。氏はそのうちに探偵力点を進んで犯人の心理に称した。この事は当時の時代としては創見であつたが、さればとて今読んでみては、甚だ稚拙を免がれない。しかし、かうして局面の一転をはかつた事は認めねばならないだらう。
高谷氏の事については、も少し研究して他日相当まとめたものとして、紹介するつもりでゐるが、氏の書いたものに「清水定吉」「大悪僧」「鉾蒲(※5)屋殺し」「山田清玄」「娘義太夫」「侠無者」などまだいろゝゝ(※6)ある筈だ。
高谷氏の後進で橋本埋木庵氏がある、この人も相当にに(※7)書いてゐるし、清水柳塘氏この人も相当に書いてゐるさうである、人物は多少知つてゐるが、まだ私は語る程に。(※8)作品を知つてゐない。
日本の探偵小説に指を染めた最初の人高谷氏が、だれにも顧みられない原田(※9)は、実に著作に無署名であつた事が主なる原因だらうと思ふ。眞山青果氏は河合武雄氏の為に「娘義太夫」を脚色し「薩摩紅梅」(だと思ふ)の一作をする前に、高谷氏の遺族を探して礼をつくそうとした事実がある、眞山氏の人格を知るに足る事であるから、こゝに書きつけて置く。眞山氏はさすがに原作者を認めた、が明治文学研究といつた風の論文のうちに、煽情小説を精細に究めた方があつた(だれであつたか今思ひ出せないが)、随分微に入り細に入り、筆の届く限りをつくしてゐたが、日本探偵小説は全く落してゐた、これは無理もない事ではあるが、私としては多くの恨みを感じない訳には行かない。
しかし、高谷といふ作家の存在は知らないでも、「清水定吉」といふ原始探偵小説は、孫びき式にしろ人多くは知つてゐる。高谷氏辛うじて冥すべきだらう。
(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)(※3)(※4)(※5)原文ママ。
(※6)原文の踊り字は「く」。
(※7)(※8)原文ママ。
(※9)原文ママ。「因」の誤植。
底本:『探偵・映画』昭和2年10月号(1巻1号)
(公開:2017年3月8日 最終更新:2017年3月8日)