雑誌『新青年』に、この驚歎すべき長篇探偵小説が発表され始めたのは、昨年の新年号からであつた。
それより先、私がまだ直接『新青年』の編輯に当つてゐた一昨年の秋ころから、小酒井君はよく、探偵小説は何んと言つても長篇でなければ駄目だ。日本にも、もうそろそろ本当の長篇探偵小説が産れてもいゝ時分ではないかと言つてゐた。
その時の私の返事は確かにかういふ意味だつたと思ふ。
『成程私もさう思ふ。然し、日本の探偵小説家のうちで、誰にそれが書けるといふのです。現在のところ、あなたを措いて他に適当な作家があるだらうか。』
さうして書き始められたのが、この『疑問の黒枠』であつた。それ迄の小酒井君は、どちらかと言へば、短篇小説のうちでも、最も短い部に属すべき作品ばかりを公けにしてゐた。ところが、一旦この長篇に手をつけるや否や、忽ちにして驚歎すべき長篇作家の素質を現して来たのである(。)(※1)
然し考へてみれば、これは少しも矛盾ではない。何故なれば、探偵小説の長篇の場合には、大がかりであると同時に、最も些細な点にまで綿密な用意と工夫とを要するからである。学者としての小酒井君、短篇作家としての小酒井君、それがこの長篇に最もよく役立つた。読者は先づ、網の目のやうに張られた伏線に驚異の眼を瞠るであらう。そして最後に、それ等の伏線が如何に巧みに処理されて行くかに、感歎の声を放たずにはゐられないだらう。
探偵小説専門雑誌としての『新青年』を、長い間私は編輯して来た。然し外国の長篇探偵小説と雖も、これ程迄複雑に、そしてこれ程迄巧みに読者を引摺つて行く長篇を読んだ事がない。探偵小説に飽満したといふ人にも、これから探偵小説を読まうといふ人にも、私は確信を以て『疑問の黒枠』をお奨めする事が出来ると思ふのである。
(※1)原文句読点なし。
底本:『大衆文学月報』 第11号 平凡社 昭和3年3月1日発行
(公開:2014年10月1日 最終更新:2014年10月1日)