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【翻刻について】

小酒井不木氏と翻訳

甲賀三郎

 小酒井不木氏の突然の死は、痛く我我を驚駭せしめた。同氏の死が探偵小説界にとつて、非常に打撃である事は今更喋々を要しない事である。
 不木氏の探偵小説界に寄与した不滅の業績は、凡そ三期に分つて述べる事が出来ると思ふ。その前期は探偵趣味的研究の発表であつて、医学博士としての氏は、その該博なる蘊蓄を傾けて、科学的に而も津々として尽きない随筆的興味の許に、縦横に筆を振はれたが、その面白さは探偵趣味を猟る徒を恍惚とせしめて、何人の追随をも許さないものがあつた。
 前期と後期との間にあつて、短い期間ではあつたが、探偵小説史に燦然として光を放つてゐるのは、北欧の作家ドウゼの翻訳紹介である。大正十一二年の頃と記憶するが、氏がドウゼの作を新青年誌上に連載するや、同誌十万の読者は踊り、蜘蛛に噛れた人のやうに、熱狂し、次号を待つ事大旱に雲霓を望む以上で、原稿で読まして貰ふ事を編輯者に申込んだ読者が少なからずあつたと云ふ程だつた。ドウゼの作は堂々たる本格小説であつて、而も其テンポが探偵小説フアンを唸らすに十分過ぎ、ミステリーが鎖の輪を解すやうに、一つ一つと解けながら、最後に到るまで、読者を五里霧中に彷徨せしめ、更にその周到なる用意に至つては、通中の通、専門の小説家さへも感歎之を久しうせしめるものだつた。新青年誌が懸賞で犯人の推定を募集するや、応募者中に後年の探偵小説家を殆ど網羅したのも、決して偶然ではない。
 不木氏の後期は大正十四年初めて創作を試みてから、本春忽焉として長逝するまでの期間であつて、創作家としての氏の活躍は世人の記憶未だ新たなる所と思ふ。
 私が仮りに三期に分つた小酒井不木氏の功績は、いづれを宜しとし、いづれを軽しとする事は出来ないが、ドウゼの作品が探偵小説の読者を俄然激増せしめ、小説家自身に多大の刺戟と暗示を与へた点に於いて、後世の探偵小説史家には、かなり重きを置かれるであらうと信ずる。

底本:『世界大衆文学全集月報 第十四号』(改造社・昭和4年5月3日発行)

(公開:2005年4月1日 / 最終更新:2005年4月1日)