24歳 東京帝国大学医科大学大学院1年
【年譜】
大正三年十二月 卒業。直に大学院に入り、生理学、血清学を専攻す。
「自伝」(小酒井不木 『中京朝日新聞』 大正15年1月?)
継母は二十五歳の冬に死んだので、
「追憶」(小酒井不木 『学林』 昭和4年3月10日発行)
願書の一件はこれで危ふくすみ、それから試験だけを受けて見たいと願つてやつと許され、試験に及第すると、さすがに義母も我を折つて、では高等学校だけやらせるといふ条件で三高を終り、大学へ入る際またゝゝ一捫着あつて遂に大学を卒業したのであるが、卒業試験中義母は脳溢血を起し、試験後二月で永眠したのは実に悲しかつた。
「父不木の思い出」(『別冊・幻影城No.16 小酒井不木』昭和53年3月1日発行)
父は東大医学部を卒業後、法医学教室へ入り、三田定則教授の指導を受け、血清学の研究を始めた。古畑博士は、二年後法医学教室へ入ったが、法医学が、また血清学が如何に興味深い学問であるか、さらにわが国に血清学を導入した三田教授が如何に魅力的な人物であるかを説いて、古畑博士を法医学教室へ引き入れる原動力になったのが父であることを、後に私は古畑博士の口から聞いた。
(公開:2007年2月19日 最終更新:2020年4月12日)