専門分科の弊は学者をして自分以外には知識も無ければ興味もない事物の研究に従事せしむるに至り従つて動(やや)もすると常識の乏しい学者を作り易い。学者は未知の境(けう)に進んで自然の秘密を暴露する役目を持つと同時に其の獲得した知識をよく万人の所有たらしむる役目をも持つて居るので、換言すれば真理の探究者であると同時に一世の指導者たるに於て真の学者の資格を具へたものと謂ふべきである。而して一世の指導者たらんとするには是非共常識が円満に発達して居なければならぬ。即ち品性の淘冶と常識の涵養とは必ずや並行すべきものである。加之(しかのみならず)、常識はまた真理の探究に際しても事物の判断をして最も安全ならしむるもの換言すれば吾人(ごじん)をして観察の誤謬を免れしむる一の安全弁である。日本のある解剖学者が日清戦争を知らなかつたのは有名な話であつて、なる程日清戦争と解剖学とは没交渉であるには違ひないが、それによつて其の常識の程度も推測せられ、折角の解剖学までが死んで了(しま)ふ様な気がする。人間としての苦労が足りなかつたり又は修養が欠けて居ると得て常識は欠乏する。かゝることは世間見ずの所謂お坊ちやん育ちの学者に往往有る事である。多芸多能は必ずしも学者として誇るべきことではないが、ある程度まで世間並の知識は之を得て置かねばならぬ。昔の学者は多くの学問に精通して居た、例へば数学者であると同時に生理学者であり又哲学者であるといふ有様であつた。学問の根本の精神に変りはないから、一方面に秀(い)づれば従つて多くの方面に優れることも出来たのであり又其の一方の知識が他方の研究の際に大(おほい)に助けとなつた訳である。現今の様に学問が精密の度を増して来ると勢ひ全般の学に通ずることは不可能であるがせめて一通りの知識、換言すれば高等常識は得て置きたいものである。
昔は煩瑣哲学などといつて哲学は哲学者以外には何人(なんぴと)にも了解し得ざる文字を以て記載せられた様な時代もあつたが、学問は宜しく万人の所有たらしむべきものである。而して学問を教授したり、又は通俗に拡(ひろ)める為には是非共発達した常識が必要であり、同時にまた文才が必要である。すでにかの研究業績の発表の際にも秀(すぐ)れたる文才が無くてはならぬのであるが科学者ことに現今の科学者の文章には頗る巧(たくみ)ならざるものが多いやうである。動(やや)もすると難解であつたり又其の意見が徹底しない。されば学者は是非共この方面にも修養する所がなくてはならぬ。
ヒユルトルが著した解剖学教科書には一枚も挿絵が無い。それでなくとも解剖学の書は、随分無味乾燥の嫌ひが多いが、これは如何(いか)な事一たび繙くと巻を終ふる迄止められぬ程巧みに書かれてある。而(しか)も一枚の挿絵がないのにも拘(かかは)らず読むものをしてハツキリと了解せしむる所のものは偏にこの解剖学者の非凡なる文才に依るものである。彼は如何(いか)によく人に教へむかといふことに非常に苦心をした人(※1)である。ツツカーカンドルは彼を評して、「シセロの如く語りハイネの如く書いた」と言つた。ハツクスレーが才筆を揮つて進化論を通俗的に説いたことは誰しも知る所であるがかういふことは一寸考へると出来さうであつて極めて行ひ難い所である。あまり多く書物を著すと動(やや)もするとブツク・メーカーといふ譏(そしり)を受ける場合がなきにしもあらずであるが、其れは其の書物の内容の如何(いかん)によるもので、くだらない書物を筆に任せて書けばこそ、之を非難すべきであるが、万人の蒙を啓くべく書かれた書物はある意味に於て真理の発見と同じ価値を与へても過分ではあるまいと思ふ。況んや自分の文才の足らぬ事を棚に上げて、人の著作に没頭するを責むるが如きは学者としての態度ではない。ヘルムホルツ、ヂユ・ボア・レーモン、チンダル、マツハ等(など)は皆優れたる文章を以て、科学を一般に普及せしむるに勉(つと)めた人達である。チンダルの「フラダ(※2)メンツ・オヴ・サイエンス」やヂユ・ボア・レーモンの演説集の如きは学に志すものの眼を通す価値のある書物であると思ふ(。)(※3)殊に後者の「世界の七不思議」「自然科学の極限」の如き論文は近代の文芸思潮にも大(だい)なる影響を及ぼしたものである。氏はまた仏蘭西(フランス)唯物論者(マテリアリスト)のヴオルテール、ヂヂロー等を研究しヨハンネス・ミユラーやヘルムホルツの伝記をも書いた。先哲の伝記を研究することも学者たるものゝ敢て為さゞるべからざる箇条の一であつて、先哲の人と為(な)りを学び先哲の考へ方、研究の仕方を学ぶことは莫大の利益を得ること今更喋々(てうてう)するを待たぬ。吁(ああ)学ぶべきことは斯くの如く滾々(こんこん)として尽きず、畢竟(ひつけう)たゞ生命(せいめい)の短きを憂ふるのであるが、世の幾多の学者輩(はい)のうち心から「芸術は長く、生命(せいめい)は短し」の歎(たん)を発するものは果して幾人あるであらうか。
(※1)原文一文字判読不能のため、『学者気質』(洛陽堂・大正10年12月8日発行)を参照して補った。
(※2)原文ママ。「グ」の誤植か。
(※3)原文句読点なし。
底本:『東京日日新聞』大正10年10月12日
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2009年3月2日 最終更新:2009年3月2日)