むかしは七尺去りて師の影を現(※1)(あら)まずと言つたが、今は途中で擦れ違つても帽子をさへ脱がぬ。これは一に現今の教育制度の余弊ではあらうが、考へて見れば誠に情(なさけ)なき現象である。師弟の関係のみならず一般に人と人との間の情誼は極めて薄くなつた。杜甫ですら既に「翻手作雲覆手雨(てをひるがへせばくもとなりててをくつがへせばあめ)」と憤慨した、況んや現代に於ておやである。されば師弟の間に暖かみが少くなり友達同士の間には暗闘とか敵視とかの忌はしい弊害が踏(※2)(ふ)はれて来て学問するにも余程楽しみが減じた訳である。
併しながら歴史を繙いて見ると優れたる学者は、最も暖い心の所有者であつた。そして其(その)弟子のゑらく(※3)なることは、自分のゑらく(※4)なることであるてふことをよく了解して居たのみならず弟子を愛すること自らを愛するが如き人達であつた。パストールは其(その)門弟に対しては勿論、自分の研究に興味を持つ凡ての人に極めて親切であつた。加之(しかのみならず)彼が彼の使用する動物に対する熱愛は、寧ろ滑稽な程深いものであつたそうである。現今の研究者が動(やや)もすると動物を待遇するに無頓着なるは頗る歎(なげ)かはしいことゝ思ふ。英国では動物の濫費及虐待を制限する為研究に必要な動物は内務省の許可を得て使用することになつて居り又手術などを施す際は、事情の許す限り魔睡剤を使用することになつて居るが、なるほど之によつて表向(おもてむき)動物虐待は防ぎ得るかもしれぬが、研究者自身が真実なる動物愛護の心を持たなかつたならば形式のみでは駄目な訳である。誠に暖かい心の所有者の業績は之に接する時何となく懐かしい感じがするもので、パストールを始め、リスターやフアラデーが何(いづ)れも熱心な宗教信者であつたことも何者かを語つて居るやうに思はれる。
ルードウイツヒが自分で行(や)つた実験の多くを弟子の名を以て公にせしことや、ハンター弟子がゼンナーに対した態度は前にも述べたが、現代にあつては、どうかすると弟子の行(や)つた実験を自分の名で報告したり又弟子の考へ付いた観念を奪つて自分のものとするものが無いでもない。かゝる不心得な師に養成せられた弟子は自然にまた相互に不徳を行ひ易い。かの姙娠反応で有名になつたアプデルハルデンは自分の腹心の輩(はい)を他の教室に住み込ませ而して窃(ひそ)かに其(その)教室で行(や)つて居る事を内報せしめ少しよい研究事項であると先廻りして実験を行ひ之を公にしたそうである。かやうな間諜制度が学界に応用せらるゝに至つては実に学界の澆季(げうき)である。学者気質の堕落は茲(ここ)に至つて正にどん底に達した観がある。かういふ人の業績はたとひ其(その)内容が善くても少しも尊敬する気になれない。和歌や俳句乃至其他(そのた)の文学的作物に剽盗の許し難きが如く学術上の剽盗は断然之を許すことが出来ぬ。学者は宜しく俯仰天地に恥ぢざる態度を以て急がず迫らず堂々として研究に従事せねばならぬ。ハーシエルがフアラデーの将来の研究せんとする事項を聞いてフアラデーに送つた手紙に「力から力へ、恰も凱旋将軍が更に征服を期して行進するが如く、衆人歓呼の中(うち)を、悠然として御進みなさい。併し何人(なんぴと)の歓呼も此(この)ハーシエルの心からなる歓声に如(し)くものはないことを記憶して下さい」と何たる暖かい言葉であらう。世には時として他人の栄達を嫉視するものゝ多き中(なか)にこの真実なる督励者を得たフアラデーは実に幸福であつた。他人の喜びを心底から喜び得る者こそ真に真理を愛する者と謂ふべきである。
先哲は「日に三たび我身を省る」と言つた。学者は忙しい研究の間にも常に自己を反省せねばならぬ。大(だい)なる真理は暖かき心の所有者をのみ好むものである。人間として非難せらるゝものが学者として何として尊からうぞ、治に居て乱を忘れ、名を得て心驕るものは最早真理研究の資格がない。フアラデーの瑞西(スヰツル)旅行日記の中(うち)に「この地は靴釘製造が盛んで、夫れを目撃するのは誠に楽しいものである。自分は鍛冶屋の仕事が大好きである(。)(※5)父が鍛冶屋であつたから」とある。心ある者は此の数行から何物かを会得するであらう。
メロニが熱電気の応用に関する重要なる研究をした所、当時仏蘭西(フランス)の学界では之を認めなかつた。彼は貧苦に責められつゝ、今に科学協会の審査員から報告せらるゝかと待ちに待つたが、無益であつた。遂に彼は已むなくある雑誌に報告した。ところがその雑誌が英国のフアラデーの手に入るや彼は直ちに其(その)研究の立派なることを認めてローヤル・ソサエチーのラムフオード賞牌を贈る様取計らつた。無論其の賞牌には若干の金員が附随して居た。見ず知らぬ人のこの厚志に対して、飢餓に迫つたメロニは涙を流して雀躍(こをどり)した。
(※1)(※2)原文ママ。「踏」と「現」が逆。
(※3)(※4)原文圏点。
(※5)原文句読点なし。
底本:『東京日日新聞』大正10年10月11日
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2009年3月2日 最終更新:2009年3月2日)