世の中には所謂不可思議なることが沢山ある。併し其の不可思議な事象が悉く人間の解釈を許さぬものでこれを一の超人間的な力の発現と信ずることはいふまでもなく誤謬である。既に吾等は錬金術や不老長生術が何(いづ)れも失敗に終つたことを知り、又予言の如き一応神力(しんりよく)と思はれることも実は人間の経験と理性から推定した結果であることを知つた。それ故に今茲(ここ)に従来の科学的説明の及び得ざる事象が起つても科学者たるものは飽く迄冷静なる態度を取つてその事象の底に横たはる原因結果の関係を見出す様苦心せねばならぬ。
現今の科学は其の発達の最高点に達してゐるのではない。従つて不可思議と見ゆる事象を頭から否定し絶対に其の不可能を信じてかかるのは宜敷(よろし)くないのである。往年千里眼が出で、どうやらそれは一の手品であつた様に解決せられたがかゝるものゝ研究に対した時(、)(※1)よく学者が真価(※2)がわかるものである。ガリレオは自分の呼息(こそく)を適当に加減して重い振子を動かすことが出来た。又、リコツトは二個の玉振時計の一個を動かすことによつて他の時計を働かせることが出来た、時計を壁にて隔てた時でも同じく成功した。かくの如く小さな衝動(インパルス)が集積すると非常に大なる力を為すこともあるから、例へば透視とか念写とかの能力の如きものも、若しそれが可能としたら透視者自身の知らざる或る物理的機械的の作用が行はれて居たのだつたかも知れない。そして果してそれが通常の手品であるか、又はある複雑なる物理的機転であるかを見わけるのは偏に其の研究者の心の状態に依るものである。
十九世紀の半(なかば)過ぎ頃に英国でスピリツト(神霊、幽霊)が矢釜(やかま)しく人々の話題になつた。それはスピリツトがメヂアム(中介者)に乗り移つて、人々は其のメヂアムを通じてスピリツトに色々のことを訊ねたりするのである。或る時物理学者のヂンダルは其のメヂアムに逢ふべく招待せられ多大の興味を以て其の会合の席に臨んだ。其の結果は何の事もなくたゞ他愛のない手品に過ぎぬことを見破つた。彼は其の時の会合の有様を委(くは)しく書いて居るが、其の一部を引いて見ると、席上磁石の話がチンダルとメヂアムとの間に取り交されるに至つた時「するとこの室のやうに真暗(まつくら)でも、磁石があれば貴女にはよくわかりませうね」「エヽもうそれは室にはひるなりすぐわかります」「どうしてゞすか」「気分がわるくなりますから」「今日は御気分は如何(いかが)ですか」「近頃になく晴々して居ります」「では御訊ねいたしますが、今この室に磁石がありませうか」メヂアムは暫くチンダルの顔を見つめて居たが急に顔を赤らめ、「いえありません……どうもあなたとは話が合ひませぬ」と答へた。チンダルはメヂアムの右隣に坐つて居たが実に其の左のポケツトには磁石が入れてあつたのである。こんな風な有様で、なほその外の二三の実験が行はれたがメヂアムはつひにチンダルを欺くことが出来なかつた。
近頃、殊に欧洲戦争の始まつた以後欧米就中(なかんづく)英国ではスピリチユアリズムが盛んに流行して居る。これは死んだ者の霊魂と生きて居るものとが交通し得るといふのである。やはりメヂアム(多くは婦人)があつて其のメヂアムを通じて死者と交通するのである。英国では例の探偵小説で有名な、コナン・ドイルや又物理学者のオリヴアー・ロツヂなどが躍起になつて騒いで居る。コナン・ドイルに依ると、一八四八年アメリカ紐育(ニユーヨーク)州ロチエスターの近くの田舎に住んだフオツクスといふ家族のケートといふ娘が現今のスピリチユアリズムの最初のメヂアムであつて、かのスウエデンボルグ及(および)メスメルに始まり、アントリユー・ジアクソン・デーヴイスに至るの時機は準備期であるさうである。このスピリチユアリズムは無論一般に承認せられてはないが、かくの如き心霊に関する問題に対しては学者は余程慎重の態度を以てせぬと飛んでもない渦中に巻き込まれたりする。戦争の為に愛子(あいし)や良人(をつと)を失ひ悲嘆のあまり気も狂はんばかりになつて居る矢先、死んだ者と交通の出来るスピリチユアリズムは誠に渇する者にとりての甘露である。これが為随分如何(いかが)はしいメヂアムがあつて、多大の金を寡婦などから貪つたりする。かういふ訳で、一つの珍らしい事象に対してはよく其の時代の背景をも充分考察しなければならぬと思ふ。
(※1)原文句読点なし。
(※2)原文では「真」の後の一文字判読不能のため、『学者気質』(洛陽堂・大正10年12月8日発行)を参照して補った。
底本:『東京日日新聞』大正10年10月8日
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2009年2月23日 最終更新:2009年2月23日)