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学者気質(十八) 予言(下)

医学博士 小酒井不木

 次に科学の方面に於ては如何(どう)であるかといふに、これは言ふまでもなく一段の確(たしか)さが加はる訳である。先づ手近なものに天気予報がある。日本でこそ其の的中の割合が少いがm其れは地勢の関係によるのであつて、理窟からいへば寧ろ間違ふのが不思議な位ださうである。これとても気象学の発達した今日なればこそで、その昔ある大名に明日(めうにち)の天気の晴雨を尋ねられて「明日(めうにち)は雨ふり候(そろ)天気に御座なく候(そろ)」と筆答(ひつとう)した様な頓智の必要な時代もあつた。大森博士が桑港(サンフランシスコ)の地震を視察して、近くペルーに同じ様な地震の起ることを宣言した所果して一箇月あまりの後にその事は実現した。博士は別に不思議なことではなく当然推定し得る事だと言はれたが地震学に造詣の深ければこそかゝる予言が出来た訳である。ハレー彗星が七十六年の週期(※1)で出現するといふこともある意味からいへば立派な予言であらう。日蝕月蝕の如きは一分の時間も違はずに暦(こよみ)に予言がしてあるではないか。
 天文学上最も興味ある歴史の一に海王星の発見がある。天王星の軌道を観測すると万有引力の法則から計算し出した軌道と少しの差異が生じて来た。そこである者はニユウトンの法則が果して正しいかどうかさへ疑ひ始めた程であるが、若し引力の法則が正しいものとしたら、この観測上の差異は果して何に依るかと考へ出したのがルヴエリエである。彼はある未知の星が太陽系に今一つ存在して、それが天王星の軌道に影響するのであらうと仮想して、其の仮想した星がどの辺にあつて、太陽からどれ位の距離にあるかを逆に計算した。そこで一八四五年及(および)翌年の二回に亘つて其の計算の結果を公にしたが別に反響を得なかつた。丁度一八四六年の九月になつて彼はベルリン天文台のガルレに書を送つて自分の仮定した位置に自分の計算から割り出した星があるかどうかを確(たしか)めてくれる様依頼した、そこでガルレは乞はるゝ儘に示された場所に望遠鏡を向け、丁度其(その)頃出版された星図と天とを比較して観測した所果して遊星らしい八等星の新星を見つけ、翌晩(九月二十四日)に至つて愈(いよいよ)確定することが出来たのである。そしてこの新星に海王星(ネプチユーン)の名が附けられ、従つて万有引力の法則は益(ますます)其の光輝を増した。
 其(その)万有引力の法則も今は、アインスタインの相対律によつて修正を加へらるべき時節が来た。アインスタインは自分の相対律が果して真であるならば次の三箇条の予言が立派に証明せらるべきであるといつた。其の一は水星の軌道の近日点移動に関し、其の二は星の光りが太陽の附近を通過する際歪(ひづみ)を受くべきことに関し、其の三はスペクトルに関するものであつた。而して第一第二は一昨年(一九一九年)までに証明せられ、今は第三が残つて居る許(ばか)りであるが恐らくこれも軈(やが)て証明せらるゝものであるらしく思はれる。
 科学に於る予言はかくの如き確(たしか)さを以て的中するので茲(ここ)に至つて科学者は正に神に近き感がある。ところがかくの如く一般科学の進歩した中に最も振はないのは疾病の予後の学問であらう。医学は進歩したといふが、予後に関して医者はいつも面喰(くら)ふ。随分経験の豊富なる国手にもこの点はどうも苦手であるらしい。生物(いきもの)ことに人間の生活現象は複雑を極めたもので(、)(※2)従つて其の疾病の観察探究は勿論困難ではあるが、病因病理の学が比較的進歩発達して居るのに予後の学のみ之に伴はないのは抑(そもそも)何の理由に依るのであらうか、色々原因も多いであらうが、従来、動物実験に拘泥して人間そのもの疾病そのものゝ観察が比較的蔑(ないがしろ)にせられたのが主なる原因であるまいかと思はれる、社会現象ですら前に述べた如く、歴史哲学に精通するものはよく確実な予言をなすことが出来るのであるから若し疾病の歴史、疾病の臨床的観察を今一層深く究め且(かつ)行つたならば其の予後も割合に容易(たやす)く判断し得るものではあるまいか。

(※1)原文ママ。

底本:『東京日日新聞』大正10年10月4日

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2009年2月23日 最終更新:2009年2月23日)