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学者気質(十七) 予言(上)

医学博士 小酒井不木

 大本教の予言は頗る怪しいものだが、楠正成の読んだ聖徳太子の神文(しんもん)や、日蓮が立正安国論に於ける蒙古来襲の予言は立派に的中した。予言は必ずしも不可思議なる神通力に依らずとも出来るもので、殊に科学の方面に於ては、演繹的推論によるのであるから、予言の外れ様がない位である。凡て驚歎すべき出来事を神や仏の力に帰するのは科学者としての態度を誤れるもので、科学者は飽くまで冷静なる理性に依つて事物を判断解釈せねばならぬ。
 占星術(アストロヂー)や易による予言は暫く措き、豊富なる経験と誤らざる論理から割り出した予言は、それが科学の方面に関係して居ない政治上や、道徳上のことであつても比較的正確に的中するものである。ベーコン卿の所謂「未来のことを現在のことの様に知る」能力はこの意味に於て確(たしか)に存在し得るものである。
 釈尊は龍樹菩薩の出現を予言したが、ジユリアンが法王ユーゼニウス四世に与へた書簡の中にはルーテルの出現する一世紀以前に既に宗教改革と其の結果とが記されてある。タシタスはローマ帝国の滅亡することを其の五百年も以前に書いて居る。シゼロは彼と同時代の出来事のみならず其の死後幾多の年月を経た時分の出来事をも予言したが、彼は自分の予言能力は別に不思議な力が宿つて出来たのではなく、よく事件を研究考慮した結果の賜(たまもの)であると述べて居る。
 アリストテレースは予言の秘訣に就て次の如く語る。「未来のことは却々(なかなか)わかるものではないが、過去のことはこれに反して比較的容易に知り得るものである。それ故に予言といふのは実は、人々の知らざる過去の事実を穿鑿暴露したに過ぎぬ」と。かくて優れたる歴史家は容易に予言者たり得る訳である。
 歴史は繰返すといふ言葉がある。人事が人事を生じて行く関係は人から人の子の生ずる様に確(たしか)な因果の法則から成り立つて居る場合が多く、従つて嘗て生じたことは未来にもまた生ぜんとするのである。されば歴史上注目すべき大革命は殆ど同じ型から取つた様に互(たがひ)に生き写しである。伊太利(イタリー)の史家、スチピオ・アムミラトーは「事の真実は時と処(ところ)によつて、左右せらるゝものではない」、と揚言し、テミストクレスの予言力についてツキヂデスも「彼は過去から未来を判断する力が優れて居た」と言つた。ルソーは仏国革命を予想して其の著「エミール」に当時の上流子弟に有用なる商売を教へて置くべきことを忠告した。其の当時人々は之を読んで嘲笑つたが、後に至つて其の真実が証明せられた。ピツトが千八百年になした演説こそは実に十五年の後立派に実現せられたのである。
 之になした予言が、虚偽となつた例も無論尠(すくな)くない。一五三二年にカリオンといふ僧侶の刊行したユニヴアーサル・クロニクルの中に、この世が将に終らんとすること、土耳其(トルコ)帝国は数年ならずして滅亡すること、チヤーレス四世の死後独逸(ドイツ)帝国は独逸(ドイツ)人自己により支離滅裂にされることを述べて居るが、どれも皆実現しなかつた。自己の偏見と独断とによつて解釈する歴史家にもかゝることは有り勝ちである。大本教祖直子の「世の立替(たてかへ)」云々も恐らくこれと同じものであらう。それでも又それを信ずるものがあるから世の中は広いものである。一七五〇年の春、倫敦(ロンドン)に小さな地震があつた後に、近く一大地震が起つて全市全住民を滅亡せしむるといふ予言が何処からともなく言ひ出されて、倫敦(ロンドン)全市を挙げて一大恐怖で襲はれそれが起るといふ二三日前には、田舎へ逃げ出す人の為に街上は人の山をなしたといふことである。そして当日何も起らなかつたのを見て人々は皆腑の抜けた様な顔をした。ハリントンが英国に王政を復活することの不可能を説いてから僅かに六箇月を経てチヤーレス二世が王位に即(つ)いた。デフオーの如きもまた同じやうな失敗を演じた。
 然し乍ら偏見を捨て、独断を排して正当なる推理力と明確なる洞察力に依る時は、たとひ艮(うしとら)の金神(こんじん)が乗り移らなくとも又特別なるインスピレーシヨンがなくとも、予言はある程度まで正確に的中せしめることが出来るので、たゞ難(かた)しとする所は事件の内容よりもむしろ、何時(いつ)其の事件が起るかといふ「時」の関係であらう、誠に歴史哲学は過去を現在と結び現在を未来に結び、三者各(おのおの)が他の二者の一部分をなすことを示すのであつて、ライプニツツの所謂、「現在は未来で充盈(じうえい)して居る」の言(げん)は争はれざる真実である。

底本:『東京日日新聞』大正10年10月2日

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2009年2月23日 最終更新:2009年2月23日)