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学者気質(十六) 魔法

医学博士 小酒井不木

 科学の黎明期にありては科学者が魔術者と考へられて居たと同時に、それ等の科学者はまた、一面に於て魔術者たらむことを欲したのであつた。アルベルト(アルベルツス・マグヌス)は其の著「賞讃すべき秘密(アトミルプラシークレツツ)」の中に「これ等の魔術の書は大切に保存すべきもので、後代に至つて諒解せらるゝ時節がくる」と述べて居る。又コルネリウス・アグリツパも「芸術及び科学の虚栄」を書く前に、幽鬼や悪魔と交通する秘密を一の組織に纏めようと考へた。バブチスタ・ポルタは偉大なる天才であつたが、彼は其の賢明を神が自分に乗り憑(うつ)つて居るからだと考へ、自ら予言者であると信じた為法王から予言することを止めるやうにと乞はれた程である。
 今でこそ永久運動、不老長生薬、賢者の石(錬金術)等を探し求めんとする者はないが其の昔はこの為に随分人々が浮き身を窶したものである。ハルトマンと称する男は永久運動を一生涯研究して成功せず遂に縊死したといふ話である。ヱネルギーの法則の明(あきら)かとなつた今日(こんにち)誰もこの研究に手を出すものはなからう。併しフオンテネーユも言ふ如く人々がこれ等の研究に従事したればこそ其の副産物として色々貴重なる発見がなされたのである。グラウベルは長い間賢者の石を探し求めたが之を得ず、その代りグラウベル塩即ち芒硝(ぼうせう)なる貴重なる医薬を(※1)(さが)し当てたのである。
 賢者の石(フイロソフアースストーン)とは即ちありふれた金属例へば鉛の如きものを化して金となす物質である。この錬金術(アルヘミー)なるものは十七世紀にロバート・ボイルによりて建てられた現今の化学の先駆をなしたものである。八世紀の終り頃に西班牙(※2)(スペイン)に住んだゲーペルといふ医者が錬金術(アルヘミー)巨蘗(※3)(きよへき)と称へられて居る。ギポンに依ると、「ピタゴラスやソロモンやヘルメスによつて書かれたといふ錬金術(アルヘミー)の書といふのは皆虚偽であつて、希臘(ギリシヤ)人は化学については無頓着であつた。かのアラビヤ人がエヂプトを征服してから錬金術(アルヘミー)が一般に拡まり、中世紀の暗黒時代に益(ますます)其の勢力を逞(たくまし)うした(※4)のである。併し往古に於ても既に錬金術(れんきんじゆつ)の不可能であることを知つたものはある、シーザーの如きはローマ帝国にある凡ての錬金術書を焼き払ふ様命令した、かくて自然哲学の発達した現今にありてはギボンの言草(いひぐさ)ではないが、金を作るには賢者の石でなくて商工業に依るより外はないのである。
 然し乍ら比較的近頃まで化学が錬金可能の希望を持つて居たことは、ゲツチンゲンのギルタンネルの予言に「第十九紀世(※5)に錬金術(れんきんじゆつ)は一般に行はれる様になり其の頃には凡ての日常の用具にも金を用ひ(、)(※6)食事の折のナイフやフオークも皆金で作らるゝから、今我等が食事と共に呑みこむ鉄や銅や鉛の代りに金を呑み込み、従つて不老長生の目的をも達することが出来る」とあるのを見てもわかる。けれどもデーヴイが所謂「たとへ錬金術(れんきんじゆつ)が成功しても、恐らくそれは無用のものであらう。」とは大いに味はふべき言(げん)である。
 錬金術(れんきんじゆつ)と等しく不老長生薬もまた多くの人々の探し求めた所である、遠くは秦の始皇の失敗があり(、)(※7)中頃ヴアン・ヘルモントの不成功があり、近くはメツチニコツフの学説の虚(きよ)なりしを見ても畢竟(ひつけう)それは不可能事であらう。サー・ケネルム・ヂグビーが生命(せいめい)の短きをかこちつゝエグモンの隠宅にデカルトを訪ねた時、この大哲学者は「自分も色々この事に就て考へたのであつて、人をして不死たらしむることは不可能と思ふが、併し首長(パトリアーク)の年齢位まで寿命を延長するのは可能だ」と答へた。そしてデカルトの訃の伝へられた時弟子のアツペ・ピコーは長い間それを信じないで若し本当に死んだのならそれは大哲学者が何かの間違ひをした為であらうと言つたさうである。間違ひかもしれぬが人は遂に死なねばならぬ。
 近頃またスタイナツハ氏の若返り法が発表せられて人々の好奇心をそゝりかけたがこれも何年かの後にはやはり、捨てゝ顧みられなくなることは明(あきら)かで、科学者がかやうな問題に手を染めることは畢竟(ひつけう)永久運動を研究して縊死すると同じ愚を繰返すものであらう。

(※1)原文ママ。「探」の誤植か。
(※2)原文では「西」の一文字が空白、『学者気質』(洛陽堂・大正10年12月8日発行)を参照して補った。
(※3)(※4)(※5)原文ママ。
(※6)(※7)原文句読点なし。

底本:『東京日日新聞』大正10年9月30日

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2009年2月23日 最終更新:2009年2月23日)