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学者気質(十五) 迫害

医学博士 小酒井不木

 何(いづ)れの時代にありても人類の嚮導(けうどう)につとめた人々は常に其の人類の無智のために、甚だしき迫害を蒙つたものである。現今でこそ学問の有難味は人々の脳裡に余程染み附いて来たが、まだ十七八世紀の終りまでは傑出したる哲学者は異端者として、又偉大なる科学者は魔法使いとして、恐るべき体刑をさへ加へられたのである。遠く希臘(ギリシヤ)の昔に遡れば、ソクラテスは死刑に処せられ、アナクサゴラスは牢獄に投ぜられ、アリストテレスも多くの迫害を受けて後遂に毒を嚥(の)み、ヘラクリタスは周囲の人々から全く絶縁せられて了(しま)つた。
 理智の燈明を提(ひつさ)げて人々の長夜の夢を醒さんとしても頑冥無智の嵐は、勢(いきほひ)を逞くして之を吹き消さんとするのが、いつの世如何(いか)なる時代にも繰返さるゝ悲劇である、されば古人も知己を千載に求むといひ、ベーコン卿も「他国の人々次の時代に之を遺す」と叫んで居る。かくて茲(ここ)にも天才につき纏う悲哀が存在するのである。
 ロージヤー・ベーコンは幾度(いくたび)も牢獄に投ぜられた、テレシウスはネープルス市を追放せられ、セザルピヌスは無神論者として責められ、キヤムパネラは廿七年の永き間牢屋生活を余儀なくせられた。ギオルダノ・ブルノーは羅馬(ローマ)にて焼かれラームスは度々迫害を蒙つた揚句(あげく)其の敵なるジヤツク・シヤルポンチエに殺された。
 ガリレオがローマに於て罰せられることになつた時彼は其の時の訊問者の無智に驚いて「これが自分の審判者か」と嘆息した。其(その)頃少しでも自然界の秘密を知つた人人は皆魔法を使ふものと見做(みな)されて了(しま)つた。余程の賢人であつても自ら自然研究に携はらぬ人々はやはり科学者を目指して魔法使(つかひ)と考へた位である。かのアルベルトが一寸(ちよつと)した発声器を拵へたのを見て、トーマス・アキナスが非常に怖れ戦きつゝ、忽ち其(それ)を打ち毀したのを見てもわかる。ハーヴエーが血液循環の理を公にした時は人々は「冗談にも程がある」と嘲つた。今日(こんにち)でこそ電話や蓄音機が発明せられても人々は之を魔法と信ずるものは稀であるが、以前の科学者にはそれだけの余計な苦しみがあつた。それ故一つの真理を発見してそれを発表するまでには随分念に念を入れたもので、発表すれば自分の生命(せいめい)が危ふいからである、其の命を賭してゞもなほ発表せんとする説なればこそ如何(いか)にも尊いものである、現今の科学者の業績が動(やや)もすると駄作の多いのはかういふ真剣な気持になり難いからであらう。
 ヂカルトは始めて其の意見を公にしたとき和蘭(オランダ)で少(すくな)からざる迫害に逢つた。其の頃ウトレヒトに住んで勢力のあつたヴエチウスは彼を目して無神論者となし、宜しく焚殺(やきころ)すべきだとさへ考へたそうである。コルネリウス・アグリツパは今では小学の生徒ですらやり得るやうな実験を行(や)つた為に彼の大(だい)なる財産を捨てゝ其の生地を遁(のが)れねばならなかつた。ことに彼は聖アンヌが三人の良人(をつと)を持つたといふ其の頃の人々の信念を攻撃した為到る処(ところ)に放浪の旅を余儀なくせられ、人々は彼を恐怖して、彼が外出するといつも街上は無人の境(けう)と化した。彼は常に黒い色の愛犬を伴ひ連れたが人々はそれを悪魔であると考へた。それと同じやうに其の時代にあつては偉大なる人々は各々親しい悪魔があつて常にそれと交際して居ると考へられて居た。
 世が進むに連れて人々の知識も進み、かくの如く殉教の為に流さるゝ血は少くなつた。その昔科学的革命者は「牢か墓か」で酬いられたが、今はさまで功労のなき人までが生前銅像を以て其の名を永遠に記念せらるゝ有難き世とはなつた。然し学問の価値が一般に認められるにつれて学者は尚一層厳粛なる気持になつて働かねばならぬ (。)(※1)然るに事実は往々其の反対の例を語つて居るのは頗る心外である。先人の流した血から絢爛の花を咲かしむるのが同じ流れを汲む後輩の任務であらう。

(※1)原文句読点なし。

底本:『東京日日新聞』大正10年9月26日

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2009年2月16日 最終更新:2009年2月16日)