インデックスに戻る

学者気質(十三) 病苦

医学博士 小酒井不木

 健心を健身に宿らしむることは我等の理想ではあるが兎角健心は健身に宿らないのがこれまでの習ひである。天才は得て薄倖であると同時に其の身体も屡(しばしば)薄弱であつた。病苦と貧苦その他あらゆる迫害は天才を襲つた。而(しか)もその懊悩、苦痛の中に彼等の偉才は益(ますます)磨かれて光つた。ロマン・ローランの言ひ草ではないが、人生は決して薔薇の花の敷かれた通路ではなくして(※1)(まさ)しく不断の戦闘である。かくして天才の歴史は多くは悲惨なる戦争の歴史に外ならない(。)(※2)
 ある時は天才は忽然として顕れまた忽然として暫くの間に消える。詩人キーツやアーベル函数(かんすう)を発見した諾威(ノールウエー)の大天才アーベルは二十幾歳といふ若さでこの世を去つた。或る時は生涯疾病の発作や慢性病に悩む。ドストエフスキー・ダーウインの癲癇の如き(、)(※3)頼山陽、スチヴンソンの肺患の如き、而(しか)もその苦痛の間にあつて彼等は幾多の大(だい)なる業績を遺した。音楽家のベートーブエンが聾疾を悩んだことや画家のミレーが眼疾を患つたことは実に惨中の惨事と謂はねばならぬ。
 チンダルが倫敦(ロンドン)大学の学生に向つての演説の最後に次のやうなことを言つて居る。「茲(ここ)に諸君に一言(げん)実際的の忠告をいたしたい(。)(※4)それは諸君が健康に注意せられんことである。健康さへあれば大詩人、大哲学者、大科学者となつたかも知れない人が、それなき為に暗(やみ)から暗(やみ)に隠れて了(しま)つた例が数多い……健康は間歇的な意志の緊張によるよりも寧ろ習慣を作ることによつて得られるので、鞏固なる意志によつて特殊の誘惑を避けることは出来るかもしれぬが善良な習慣こそは我等に永遠の安全を得せしむるものである云々」と実に味はうべき言辞であると思ふ。
 カントは実に規則正しい生活をした人である。日々(にちにち)の課業に時間が正確に定(さだ)めてあつて少し誇張した話だが、何でも午後になると友人の家で会合する為出掛けるのであるが、其の時間がいつも一分と違はないので、ケーニツヒスベルグの人々はカントの通過する時刻を覚えて居て、時計の方をなほしたといふことである。なるほど規則正しい生活は最も安全なる健康法に違ひないが其の規則正しい生活をも破壊せむとする迫害に附き纏はれるのが天才の常である。其処に悲劇は生ずるのである、人生の戦闘が始まるのである。
 「芸術は長く生命は短し」。いくら長寿を得てもなほ且つあまりに短く且つ呆気ないが人の生命(せいめい)である。「狐火(こか)となりて野原を駆(かけ)めぐらむ」といつた北斎と同じ生の執着を持たぬものが一人としてあらうか、ゲーテが血を咯(は)いてあの儘病が重(おも)つて死んで了(しま)つたら彼の偉大なる芸術は残らない。たとひニユートンが微分学を発見したのが二十一歳の時であり又重力の法則を唱へ出したのが二十四歳の時であつたとしても、又ダーウインが進化論を心の中(うち)に醸したのが三十歳であつたとしても、前者が「プリンチピア」を公にした時は四十六歳であり、又後者が「種(たね)の起源」を公にしたのは五十一歳であるのを見るとやはり長生きはしたいものである。
 殊に科学者は自然の観察及実験を主とするのであるから余計な時日を要すると同時に、健康なる身体を要するのである。且つその研究題目の性質上、色々な危険や不意の禍害を蒙ることも稀ではない。レントゲン線が発見せられて、之が研究に従事しつゝ或は不治の皮膚疾患に悩み、或は生殖不能となつた人は数多いことであらう、而してこれ等の犠牲を払ひ以て今日のレントゲン線療法は発達して来たのである。
 犠牲と云へば動物学者のボンネツトはあまり熱心に研究に従事し顕微鏡のために遂に明(めい)を失つたとまで唱へられて居る。「やむにやまれぬ大和魂」といふ言葉があるが実に已むにやまれぬ衝動によつて自らの身体を犠牲にしつゝもなほ驀地(まつしぐら)に進み行く科学者の心根は実にゆかしいものではないか。

(※1)原文ママ。
(※2)(※3)(※4)原文句読点なし。

底本:『東京日日新聞』大正10年9月20日

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2009年2月16日 最終更新:2009年2月16日)