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学者気質(十二) 休養と娯楽

医学博士 小酒井不木

 肉体的労働の後に休息の必要なる如く精神的緊張の後にも自然休養を要する事は言ふまでもない。即ち気を新(あらた)にするといふ目的で心を一時他に向けることが肝要である。「目送帰鴻、手揮五弦、俯仰自得、遊心太玄」の境地がなくてはならぬ。かゝる境地に在りてこそよく捲土重来の意気を養ひ得るのである。
 スピノザは思索研究の後にはいつも宿の人々と雑談に耽るか或は蜘蛛を二匹捕へて来て喧嘩させて見る癖があつた。興に入(い)ると、あたりかまはず大声を挙げて笑ふのが常であつた。セネカの言つた様に「不断の活動は精神を腐(く)さらすもので一定の娯楽によつて心を更新せねばならぬ」。ソクラテスはいつも子供等と打ち混つて他愛もなく遊んだといふ話である。多くの優れた人々は一日を仕事と休息の時間に整然と区別した。アシニウス・ポリオの如きは休息の時間には手紙をも開いて見なかつた。バークレーは園芸を楽しみ小説家のバルザツクは鉛筆肖像画を蒐集した。デカルトも午後になると友人と会談したりまた園芸に従事した。タイコー・ブレーは硝子の玉を磨いたり又は一寸(ちよつと)した機械を作つたりして気を更(か)へて居たといふことである。
 リシユリユーは荒つぽい運動が好きで時には其の召使(めしつかひ)と二人で壁の高い所にとゞき合ひをやつたこともある。またサムエル・クラークもテーブルや椅子の上を飛び越える稽古をした。ある時いつも自分の才識を鼻にかける男が運動半ばにやつて来るのを見て、「馬鹿(※1)がやつて来たからもう止さう」と云つたさうである。之に反して釣りや将棋などは静かな娯楽として喜ばれ、サー・ヘンリー・ウオツトンの如きは非常に釣りを好んだそうで彼はその娯楽の間に静思熟考を縦(ほしいまま)にしたといふことである。
 仏国の偉人ダゲリーは「自分の研究題目を替へるのが唯一の休息だ」と叫び、コナン・ドイルもシヤーロツク・ホルムスをして「仕事を変へるのが心の休養だ」と曰(い)はしめて居る。実際思索研究に耽るの士が、荒つぽい運動をするなどはセネカも之を禁誡して居る所で、娯楽によつては精神の活動力を減少せしむることが多い。セネカは「如何(いか)なる娯楽を撰ぶにしろ、肉体的娯楽から速(すみやか)に精神活動に立ち帰ることを忘れてはならぬ、精神は之を日夜活動せしめよ」と訓(をし)へて居る。ポープの手紙にこんなことが書かれてある「自分は見すぼらしい栗鼠のやうにたえず動いて居るがそれは僅かに三呎(フイート)の籠の中のことである、自分の運動は丁度忙がしい店番のやうなもので一日に合計一哩(マイル)か二哩(マイル)かに達するかもしれぬが一刻として商売のことを忘れたことがない」。取つて以て範とするに足るであらう。小さな庭園は思索家が思想を熟せしむるに足るので「採菊東籬下、悠然見南山」といふやうな心境や景色は或は必要ないかもしれない。
 以上の事柄から見るとやはり偉大なる人々は休息と称する時間にも絶えず心を働かせて居たやうに見える。学問を道楽といふのは或は語弊があるかもしれぬが、丁度将棋さしが将棋に熱中する程度に熱中してこそ始めて本当の研究も出来ることゝ思ふ。凝つては思案に能はずといふが、思案に能はない程度の熱心がなくては研究は六箇敷(むつかし)い、碁打ちが煙草盆に埋(うづ)められた「とうがらし」に頻りに煙管を運ぶ滑稽と、ニユートンが時計を煮た逸話とは畢竟(ひつけう)同じ心の境地であらう。
 むかし、ある王様が臣下の者を責むる為に、鉢に油を一ぱい盛(もつ)て幾里かの山道を運ばしめ、もし途中で一滴たりとも(※2)を溢(こぼ)したならば其の命を(※3)つぞと命じ、而(しか)も其の途中で色々の手段を以て運ぶものゝ心を他に向けんとはかつたといふ。これが油断(※4)の文字(もんじ)の由来であるが、心に油断があつては学問研究は覚束ない、間歇的緊張は実は禁物である。富貴も淫する能はず威武も屈する能はざる大丈夫の精神は軈(やが)て真理の発見を誘ふ精神に外ならぬと思ふ。

(※1)(※2)(※3)(※4)原文圏点。

底本:『東京日日新聞』大正10年9月19日

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2009年2月16日 最終更新:2009年2月16日)