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学者気質(十一) 偶然と幸運

医学博士 小酒井不木

 偶然といふものはポアンカレーの説によると、あまりに原因が複雑して居て一寸(ちよつと)説明のし難いものをいふのださうであるが、字義は兎に角偶然の出来事が大発見の基となつたり、又は偶然の出来事から偉大なる学者を作ることが往々ある。偶然は一面からいへば幸運である、エールリツヒの言つたやうに科学研究にはこの幸運も一つの要素である。偶然よい問題に邂逅すればそれが大(だい)なる発見の緒(いとぐち)となる。尤もその偶然出逢つたものを見逃すか又はしつかり捕へるかは其(その)人の心の緊張如何(いかん)にあるのである。歴史を繙くと偉大なる学者はやはり最も幸運であつたやうでこの点から推すと畢竟(ひつけう)偉大なる学者はこの偶然を取り逃がさぬやうにしたが為であると言へる。
 ニユートンが剣橋(ケンブリツヂ)大学の学生の頃ペストが流行して田舎に帰省して居た時のことである。ある日林檎の樹の下に読書して居ると彼の頭をしたゝかに打つたものがある。見るとそれは小さな林檎が落ちて来た為であつた。こんな小さな林檎があんなひどい痛みを与へるとはと考へたのが、彼の落下体の加速度の研究続いて万有引力の発見となつたのである。林檎が頭の上に落ちたといふ出来事はニユートン一人に限つたことではなかつたであらう。併しニユートンなればこそ其の偶然を巧(たくみ)に利用し得たのである。
 仏者に宿善開発といふ言葉がある、偶然大悟徹底するときの如きは或はこの偶然発見の心理とよく似(に)よつたものであるかもしれぬ。即ち長い間煩悶し苦悩した挙句(あげく)が偶然の折大悟徹底となるので、科学者も平素の努力と緊張とがなくばたとひ偶然の発見たりとも覚束ないものである。
 理論は扨措(さてお)き偶然が天才をして其の実力を発揮せしめた二三の例を語つて見よう。かの大英史家のギボンが有名な羅馬(ローマ)衰亡史を書かうと思つた動機は、彼が羅馬(ローマ)に遊んで丁度千七百六十四年の十月十五日の夕(ゆふ)の事(、)(※1)国会議事堂(カピトール)の廃墟の中に立つて深い物思ひに沈んで居ると、ジユピターの殿堂の中で、素足の僧侶が夕(ゆふべ)の祈祷を声高に行(や)つて居るのを聞いた瞬間にあつたといふ事である。コウレーが詩人となつたのも幼い時母親の室(へや)にあつたスペンサーの「フエリー・クイーン」を読んだがもとであつたといふ。
 年々ヂシヨンの学士会館が募集する論文の広告を見て之に応じて見ようと思ひ立つたのがもとでルツソーは其(その)後文名を一世に馳(は)するに至つたのである。ラフオンテーンも廿二歳までは之といふ職業にも就かなかつたがある時マレルブの詩の二三齣(せつ)を偶然に聞いてから居ても立つても居られぬ様になり(、)(※2)(ただち)に一書を買ひ求めて夜分になると其(その)詩を暗記して昼間は森の中に走つて、大きな声で誦(ず)したといふ。かくして彼の一生の運命が定められたのである。
 フラムスチードが天文学者となつたのも全く偶然の動機である。病気の為学校を休んで寝て居る間にサクロボスコの著書「ヂ・スフエーラ」を人から借りて読んだところが非常に興味を覚えて病気の癒ゆるなり直(ただち)に天文学を学び始めたのであつた。ペンナントもウイロービーの鳥に関する著書を偶然読んだのが、其(その)博物学者となる動機であつたといふ。フランクリンは「自分の為した仕事の大部分はデ・フオーの書いた「エツセー・オン・プロヂエクツ」を読んで得た印象が本(もと)となつて居る」と述べて居る。
 ガルヴアニが皮剥いだ蛙(かはづ)の脚を金属製の棚に吊して置いたところ(、)(※3)風の吹く度にその脚が金属に触れて、攣縮するのを偶然発見してから遂に今日(こんにち)の電気生理学の基礎となる仕事を完成したのである。
 かくの如く偶然に大学者となつたり又偶然に大発見をなした例はその外にも沢山ある。幸運が大学者をのみ見舞ふのか大学者が幸運を容易(たやす)く見つけ出すかはわからない。ミケランゼロが大理石に向ふと、自分の作らうとする像がチヤンと大理石を透けて見えて居て、何の雑作もなくたゞそれを掘り出して行くまでのことであつたさうである。それと同じく偉大なる学者の眼には吾々が何も見ないところに横たはつて居る幸運が顕然(まざまざ)と見通せるのではあるまいか。

(※1)(※2)(※3)原文句読点なし。

底本:『東京日日新聞』大正10年9月18日

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2009年2月16日 最終更新:2009年2月16日)