インデックスに戻る

学者気質(九) 先入見と誤謬

医学博士 小酒井不木

 偉大なる学者のたてた説なり又其(その)言つた事なりは、その人が優れて居れば居る程、吾人(ごじん)の頭脳に深く刻まれるので一旦刻まれると容易に去り難く、よしやその説の誤謬が他人によりて説明せられても始めは一寸取り難(にく)いやうなことが往々ある。どんな偉大な学者でも人間である以上誤謬は免れ難いので、また其処に学問進歩の余地が存するのであるから、偉大なる学者の説と雖(いへど)も必ずしも絶対の真理ではなく、時としてはその書き替へを余儀なくせらるゝ場合が尠(すくな)くない。ニユートンの万有引力の法則すら今やアインスタインの相対律で以て書き替へられ、エーテル存在の仮説も立派に打ち破られる様になつて来たのを見ても凡そその一班が推知される。然るに私淑尊崇の余り先人の説を万古不易の大真理であるが如くに考へて、たとひ自分が多少それに矛盾する様な現象を見つけても自分の方が誤りであるかの様に思つて、折角見つけた新しき事柄さへも捨てゝ了(しま)ふ様なことになる場合が少くない。この所謂先入見なるものは科学研究には最も忌むべきもので、吾人(ごじん)の観察を誤り、併せて大切な結論をも誤らしむる恐るべきものである。
 基督(キリスト)教会の跋扈隆盛を極めた上代にはアリストテレースの書いたものは余りに道理と感覚とを許し過ぎて居るといふ理由の下(もと)に之を読むことを禁ぜられ第十二世紀に至りても盛んに捜し出しては焼き捨てられ之を読む者は排斥せられて居た。ところが段々その非がわかつて来て、追々学者の間に読まるる様になつて来たところ、今度はアリストテレースの言(げん)に反したことを言ふものは罰せられると云ふ様な有様となつて来た。かうして其後(そのご)久しい間アリストテレースの説が金科玉条として人心を支配して居て一人の之に反対する意見を挙げるものがなかつた。漸くコペルニクスが出て次(つい)でガリレオが出て始めてアリストテレース哲学の非を立派に指摘するに至つたのである。
 医学に於ても同様のことが行はれた、かのヒツポクラテスと並び称せらるゝガレーンは実に偉大なる勢力を以て西洋上代より中世の医界を風靡した。然るに十六世紀の始め現今の解剖学の始祖とも称せらるべきヴエザリウスが出でガレーンの解剖学を美事(みごと)に覆へしたところがヴエザリウスの師のジルヴイウスはガレーンに心酔の余りヴエザリウスを狂人と呼んだ。そしてガレーンの解剖学上の誤謬に関して彼はガレーン以後、なる程種々の人が出て彼の言ふ所を改めたが然しそれは改良(※1)したのではないと言つた程私淑して居た。
 偉大なる先輩の名に晦まさるゝばかりでなく自己の経験から割出した説もまた此(この)種の偏見となるものである。実験衛生学の開祖ペツテンコーフエルは、コレラの如きはコツホの発見したコレラ菌で起るのではなくして、其(その)土地周囲の状況が大(おほい)に与ふるのであるとの自己の説を確める為に、コレラ菌の純培養を嚥下したことは医学界に於て有名な話題である。ペツテンコーフエルは果してコレラに罹らなかつた。併し乍らこれは同氏が運がよかつたまでゝたとひ自己を信ずることの如何(いか)に篤きかは感心するに足るとはいへ、随分乱暴なことをしたものである。なる程コレラ菌が体内に繁殖するには一定の条件が要るので、前例の様にコレラ菌を呑んでも罹らぬ場合もあつてコレラ菌即ちコレラ病ではないに違ひはないが、未だ嘗てコレラ菌の存在せざるコレラ病なるものは無いのを以て見ると、余程考へて見なければならぬので、現今では誰もコレラ菌の培養を呑まうと思ふものは無いに違ひない。学者は自己の説に忠実でなくてはならぬが、自己の説の非を実証せられたとき潔く兜を脱ぐの度量もあつてほしいと思ふ。
 神でない限り人間には必ず誤謬がある。かのベーコン卿は真理に達する最も確かなる道を哲学的に説いた人であるが、彼(か)れ自身が試みた熱の本体に関する研究は不幸にして誤つたものであつた。彼は熱は一の運動なりと結論して了(しま)つたのである。実際少し誇張して言へば科学の歴史は誤謬の歴史と言ひ得るのである。進化論の創唱者ダーウインも突飛性変化を自分も認めたことがあり乍ら之を大自然の遊戯として顧みなかつた。そしてド・ブリースをして突飛性変化研究に名をなさしめたのである(。)(※2)

(※1)原文圏点。
(※2)原文句読点なし。

底本:『東京日日新聞』大正10年9月14日

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2009年2月9日 最終更新:2009年2月9日)