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学者気質(八) 読書(2)

医学博士 小酒井不木

 ライプニツツは有名な多読家であつたが、それでも二種の愛読書があつた。一はヴアージルで、彼が老年になつてもよく其(その)全部を暗誦し得たといふ程愛読した。他はバークレーのアルジエニスで、彼が椅子に凭(よ)つて死んで居た時、其(その)手から落ちたのは、この書であつた。クエヴエドーはドン・キホーテに執着し時々読みながら、とても叶はぬといつては、自分の文章を火に投ずることが度々であつた。ルツソーはプルーターク、モンテーニユ及ロツクを愛読し、彼(か)の著「エミール」はこれ等の書がその基礎となつて居るといはれて居る。スキピオ・アフリカーヌスはクセノフオンの著書に依つて英雄となつたと伝へられ、モンテスキユーは常にタシタスを学んだ。グロチウスはルカンの袖珍書(しうちんしよ)を常に携へ、度々之に接吻したとさへ称せらるゝ。ラ・フオンテーヌはラベレー及マローの著書を賞読し、前者より諧謔を、後者より文体を学んだ。わが頼山陽は史記を好み殊に「項羽本記」を毎日のやうに読んださうである。
 かくの如き例証はまだこの外沢山あるが、何(いづ)れも、文豪や思想家乃至は英雄豪傑のあるものはある種の書物を愛読したことを語つて居る。勿論人によりて其(その)愛読書は区々(まちまち)であるが、良書が如何に其(その)人人の思想や行為に好影響を与ふるかゞわかるのであつて、此(この)事はやがて科学者に当て篏(はま)る。たゞ如何なる書を選ぶべきかは一概に言ふことが出来ぬが愛読書を持つて居る学者は蓋し幸福と言はねばならぬ。
 読書の話の序(ついで)に一言(ごん)読史のことを語つて置かう。温故知新といふ言葉は今さら喋々(てうてう)する迄もなく、総ての学問に関して必要なことである。一の専門学に従事するものは是非共其の科の歴史を知つて置かねばならぬ。実際従来の例に徴(てう)しても大学者は一面に於て其(その)学問の歴史に精通して居た。英国の生理学者フオスターの生理学史に於ける造詣は実に深いものであつた。歴史を知ることは新しき発見に導く動機を作ることが屡(しばしば)である。学説は多くは繰返さるゝものであつて、人々により最早顧みられなくなつた遠い昔の説が、以外(※1)にも、大(だい)なる新学説を生み出す基(もとゐ)となることが時々ある。
 生物進化の思想は既に希臘(ギリシヤ)の昔に胚胎して居た。而して後にベーコン、ビユツフオン、エラヌムス・ダーウイン、ゲーテ、ラマルク、ライエル、ハーバート・スペンサーなどによつて多少具体的に其(その)輪廓が形成せられたのであつて、遂にチヤーレス・ダーウインに至つて始めて立派な堂殿に築き上げられた。而(しか)も其(その)本尊たる進化の思想は、かくの如く遠いゝゝ(※2)昔に存在して居たのである。
 英国の名医ハクサムは其(その)名著「熱に関して」といふ書の序文の中に医者が医学の歴史を読むの必要を述べて、「古書を読まねば良医たることが出来ないと言ふのではなく、之を読むことによつて、より良き医者となることが出来るのだと言ひたい……医術のみならず、他の芸術に於ても同じであつて、詩にしろ、彫刻にしろ、之に志すものは誰しも先づ古人の傑作に心を注ぐではないか……古人から吾等の学ぶ所のものは、彼等の絶大なる努力と不断の勤勉とである」といつて居る。即ち史を読むの利益は、単に其(その)学術上の知識を増すのみならず古人の働き振りをも学び得る点に存するのである。
 近時欧米諸国の医学校では医史を講ずるもの多く、又其(その)研究も盛んになつた。医学のみならず一般科学史も、科学教授の傍ら、大(おほい)に講義してほしいと思ふ。
 図書館もまた一の実験室たるに於てこそ学問の真精神が発揮出来ると思ふのである。無論第一に実験が必要であるが、実験ばかりに走つてもいかぬ。やはり読書読史の価値の大(だい)なるを知つて、実験に従事するこそ、真の学者といふことが出来ると思ふ。(此項完)

(※1)原文ママ。
(※2)原文の踊り字は「く」。

底本:『東京日日新聞』大正10年9月13日

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2009年2月9日 最終更新:2009年2月9日)