孟子が「悉く書を信ぜば書なきに如かず」と云つた様に書を読むにはよほど注意して読まねばならぬと同時に、良い書物、適当な書物を選択せねばならぬ。科学者であるから科学に関する書物ばかりを読まねばならぬかといふに決してさうではなく、物理学者のジヨン・チンダルはカーライル、エマースンを読んで科学者となつたと言つて居る。勿論その専門的知識に関しては専門書を読む必要はあるが、其の外に前にも述べた様な科学者たる資格を作るに必要なる心の修養をなす為には専門以外の良書にも之を求めなければならぬのである。
英国の十七世紀の名医シデナムに、ある人が医者になるにはどんな書物を読むだらよいかと尋ねたら、彼は直(ただち)に「ドン・キホーテ」を読めと答へたさうである。シデナム自身はベーコン、シセロ、ドン・キホーテ及びヒツポクラテスの愛読者であつた。エドモンド・バークによつて英国民中の天才と評せられたこのシデナムは、他人のことには不関焉(かんせずえん)で、同時代のハーヴエーの大発見にも一向無頓着な程の男であつたが、しかも彼の鋭き観察力と豊富なる経験とは彼をして臨床医学の大立物(おほだてもの)たらしめたのである。
高山樗牛は日蓮と平家物語を愛読したが、夏目漱石は「自分は別に定(き)まつた愛読書とてはない」といつて居る。多くの書物を読むのがよいか、少数の書を限りて読むのがよいかは容易に断定の出来る事柄では無い。然し書は熟読すべきものであることは何人(なんびと)も否む所でない。
書物から得る所のものは多々あることいふまでもないが、就中(なかんづく)科学者として書物から学ぶべき所のものは、事物の考へ方とその思想のいひ表し方とである。一書を熟読すればする程其の著者の風体を自然に会得するものである。
プリニーやセネカは書物は深く読むべく多く読むべきでないといつて居るがそれは遠い昔の時代のことで、現今のやうに多数の書が出版せられ且(かつ)自由に各国の書の手に入る時ではこの教へは一途に守る訳にはゆかないのであらう。けれど一方からいへばかくの如く多数の書のあることは実は一の弊害であるのでやはり現今に於ても少い書物を深く読む方がよからうかと思はれる。
シセロは古来幾多の人に愛読せられた。サー・ウイリアム・ジヨーンスは毎年必ず其の全著作を通読したといはれて居る。ある人がアルノールによい文章を作るには何を読むだらよいかと尋ねたとき、彼は「それはシセロを読むに限る」と答へた。そこでその人は「イエ、羅甸(ラテン)語ではありませぬ。仏蘭西(フランス)語がうまくなるには何を読むだらよいでせうか」と更に尋ねると「それならなほの事シセロを読まねばならぬ」との答へであつた。仏蘭西(フランス)の作家トーマスもシセロの愛読者であつて、どこへ行くにも其の書を携へたさうである。
デモステネスは非常にツキヂデスを好んで、前後八回も其の著作を写しなほした程熱心に学んださうである。ブルータスはいつもポリビウスを愛読して居たのみならず明日はアントニー及びオクタビアーヌスに対して自分の運命を決するといふその前夜にすらポリビウスの書物の抜き書きをして居たといふ程である。ヴオルテールの机の上にはいつもラシーヌの「アタリー」とマツシヨンの「プチ・カレーム」とが載せてあつた。ヂヂローは「たとひ自分の蔵書を売り払はねばならぬやうになつても、モーゼスとホーマーとリヤードソンだけは残して置く」と言つた。フエネロンはホーマーを愛読し、オツヂセーの大部分を訳了したが、之(こ)れは公刊の目的でなくて単に文体の研究の為であつた。
底本:『東京日日新聞』大正10年9月12日
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2009年2月9日 最終更新:2009年2月16日)