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学者気質(五) 探偵小説

医学博士 小酒井不木

 探偵小説の目的とする所は色々あらう。こゝではそれを説くのが主眼でもなくまた自分にとりては六ヶ敷(し)い仕事である。たゞ前にも述べた通り単に好奇心を満足せしむる以外に科学研究の為にもなることを知つて貰へばよい。尤も実際に当りては犯罪の捜索は探偵小説に書いてあるやうに都合よく行くものでなく科学研究に際してもさううまく材料が見つかるものでない。併したゞ吾等(われら)がつまらぬものとして見逃し易い事が案外に尊き手懸りになる事は探偵小説の教へて呉れる所である。この点をよく学び且(かつ)熟考せねばならぬ。そしてこゝに特別なる心の緊張が必要である。勿論かゝる事は其の人の天禀(てんぴん)の性質に依るけれども、ある程度迄は練習によりて発達せしめ得るのである。
 シヤーロツク・ホルムスは其の友ワトソンに「自分は物を観察する点に於て他人よりもすぐれて居る。」と述べて、色々其の実例を示してワトソンを驚かして居る。彼はまたいふ「尤も複雑したやうに見ゆる事件は案外に簡単に結末のつくもので、見たところ極めて平凡なる事件こそ意外に困難に且つ複雑して居るものである」と。即ち科学研究に際しても一見何の奇もない現象に打(ぶ)つかつた時鋭い思索を向ける必要があると思ふ。
 従来の探偵小説に書かゝ(※1)れたる名探偵として欧米の読書社会に最もよく知られて居るのはガボリオーの書いたルコツク、コナンドイルの書いたシヤーロツク・ホルムス及びポーの書いたヂユパンなどであらう。尤も探偵小説の数は汗牛充棟(かんぎうじうじよう)(※2)も啻(ただ)ならざる有様であるから、この外に色々面白いものも沢山あるが初めての人には以上の三作者のものが、文章もよく且(かつ)内容も立派であるから、適当した読物であると思ふ。ドイルには「シヤーロツク・ホルムスの冒険」「シヤーロツク・ホルムスの記念」「シヤーロツク・ホルムスの帰国」等があり、ガボリオーには「ルコツク氏」「書類第百十三号」「バチノール街の老紳士」等がある、ポーには「モルグ街の殺人」「マダム・ロージエの怪事件」「盗まれた手紙」などがある。
 ニユートンは自分の研究法は自分の観察した事実のアナリシス(分析)とシンセシス(合成)とであるといつた。探偵の方針もやがてこの二者に外ならない。而(しか)もこの際尤も必要なものは想像力である事は言ふまでもない。シヤーロツク・ホルムスやルコツクがこのやり方である。ポーの教へる所もこれと同様であるが「盗まれた(※3)手紙」の如きは物事を六ヶ敷(し)く考へ過ぎることの弊害を教へて居るやうである。これもまた科学研究に必要なことである。通常の説明で済む所をわざと六ヶ敷(し)い説明を求めむとする弊害はたしかに科学研究の際にもあることである。
 それからなほポーの書いた「暗号に就て」と「ユーレカ」と称する二論文も是非共読む価値がある。前者は暗号の解き方で、後者は天文物理に関したことを書いた論文である。何(いづ)れも彼が大なる且(かつ)精確なる想像力の所有者であることを知らしむると同時にまた色々教へられることの多い論文である。
 この外ユースチン・フリーマンの書いた探偵小説は「ソーンダイク博士」といふ法医学者を中心としたもので其の捜索法に目新しい所もあるが其の芸術的価値は前三者よりも劣つて居るやうである。
 私は茲(ここ)にポーの「盗まれた手紙」の中に書かれた小話を引いてこの項を終(おは)らう。
 英国の有名な外科医のアパーネチーといふ人は頗る機智諧謔に富んだ人であつたが、あるとき知人の吝嗇(りんしよく)な富豪が事の序(ついで)に自らの病気の容体を他人のことの様にして話し、ロハで薬の名を聞かうと思つて、「かう云ふやうな容体の時は一たい何を用ひたら宜しいでせうか」と尋ねた。するとアパーネチーは即座にそれは診察をして貰つて医者のいふ事をお用ひになつたら宜しいでせうと答へた。読者もまた筆者の言ふ事を用ひてほしい。

(※1)原文ママ。
(※2)原文振り仮名ママ。正しくは「かんぎゅうじゅうとう」。
(※3)原文ママ。

底本:『東京日日新聞』大正10年9月10日

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2009年2月9日 最終更新:2009年2月9日)