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学者気質(四) 想像力(2)

医学博士 小酒井不木

 想像が如何(いか)に事実を正確に言ひ当てるかを、別の例を以て示さう。エマーソン、ホイツトマンと共にアメリカの三大詩人の一人なるエドガア・アラン・ポーは極めて想像力の発達した人であつた。彼が丁度フイラデルフイアに新聞記者をして居た頃の事である。紐育(ニユーヨーク)に奇怪なる殺人事件が起つた。殺されたのは紐育(ニユーヨーク)の下町で評判の美人であつて、其(その)死骸がハドソン河に棄てられてあつたので、一時全市の話題となつた。而(しか)も官憲は永い間どうしても犯人の目星をつけることが出来なかつた。その時ポーは紐育(ニユーヨーク)から送られた二三の新聞紙の記事のみからして、彼の驚くべ(※1)想像の力を便り(※2)に、此(この)事件の真相を、仏国巴里(パリー)に起つた出来事として一の小説を書き上げたのである。それが彼の有名な「マダム・ロージエーの怪事件」といふ小説である、僅かに貧弱なる新聞記事を基として、推理によりて、一々明快に事の可能性を吟味し、遂に動かすべからざる結論に到達したのであつた。まだ犯人の検挙せられざる以前のことであつたから、この小説は世間から多大の興味を以て迎へられた。果してズツト後に真の犯人が出た時、彼はポーの小説が自己の行為に寸分も違(たが)はない旨を自白したさうである。
 科学研究の際にも吾人(ごじん)が観察し得る事実は非常に少い場合がある。斯(か)かる時は其(その)真相を得せしむるものは推理想像の力に依るより外はない。
「ロビンソン・クルーソー」の作者として有名なデ・フオーの書いたものに「倫敦(ロンドン)疫病日誌」といふがある。之は始め匿名で出版せられ千六百六十五年の鼠病(ペスト)の大流行の折に住んで居て、之を目撃した者の手記といふ名目で公にされたのである。デ・フオーは千六百六十五年にはたしか、まだ二歳位であつたから疫病流行当時の状況を目撃の仕様がないけれど、人々は余りに巧(たくみ)に記載せられたるを以てデ・フオーより外に之を書く人はないと結論した。後には遂にデ・フオーの名を入れて出版したのであるが、彼が如何(いか)に想像力の豊富であつたかゞ、此(この)著によりて判ると同時に想像が如何(いか)に巧(たくみ)に事実を現すかをも知ることが出来る。
 話は少しわき道にそれたやうであるが、科学者が科学の歴史を(※3)(たづ)ぬる場合には、是非共かやうなるたしかな想像力がなくてはならぬ。併し勿論一歩を踏み誤ればとんでもない危険誤謬に陥ることは覚悟しなければならぬ。尤も科学の歴史のみならず一般の歴史的考証に就ても同様であることは言を俟(ま)たぬ。
 スチヴンソンの書いた「新アラビア物語」の中にビスマーク公はガボリオーの小説を熱心に研究したと書いてある。ガボリオーは有名な仏蘭西(フランス)の探偵小説家である。ビスマーク公が如何(いか)なる方面に彼の探偵小説を利用したかは知らぬが、私は科学研究の士にも、是非探偵小説を研究することを御勧めしたい。スチヴンソンは辻馬車を見ても一種のローマンスを見出したといふ。それ位想像力が発達せずとも、吾人(ごじん)が一寸(ちよつと)見て平凡と思ふ事物も之を探り出して見ると驚くべき大きな自然の秘密が横はつて居るものであるから、探偵が一の事件をそれからそれへと追及して行く遣り方は科学研究にも取つて以て応用し得ると思ふのである。
 探偵といふ仕事は一面からいへば甚だ厭なものである。何となれば平地に波瀾を生ぜしめつゝ如何(いか)なる人にも又如何(いか)なる事にも猜疑の眼(まなこ)を以て向はねばならぬからである。殊に探究の題目が、殆んど常に人間社会の裏面の現象に属するを以て、不愉快乍ら心を鬼にせねばならぬ場合も尠(すくな)くない。之に反して科学者は自然の現象を研究の対(※4)とするものであるから、其(その)秘密を暴露することは常に大なる歓喜の情を伴ふもので、疑ひ深ければ深い程、従つて其(その)喜びも大きくなる訳である。

(※1)(※2)(※3)(※4)原文ママ。

底本:『東京日日新聞』大正10年9月9日

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2009年2月4日 最終更新:2009年2月4日)