芸術家に想像力の欠くべからざるが如く科学者にも想像力は極めて必要なるものゝ一つである。実際想像力を科学的に利用したことによりて従来の多くの大発見がなし遂げられたと考へてもよい程で、この点に於て想像力は正に創造力である。英国の名医ベンジヤミン・プローヂーが、一八五九年ローヤル・ソサエチーに於ける演説に次の如きことを述べて居る。
想像力はこれを下手に用ふれば疑惑と誤謬の暗澹たる世界に導くのみであるがこれを経験と反省とによつて巧みに用ふれば、やがて詩才の濫觴となり、また科学発見の道具となる。これなくしてはニユートンやデーヴイの発見もなくまたコロンバスも亜米利加を発見することが出来なかつたであらう
と、実際想像の力を藉(か)りなかつたならば吾等自然人生に関する知識なるものは何等聯絡のない事項の「表」を見るやうなものであらう。ニユートンが林檎から月に思ひついたのもこの御蔭である。フアラデーの研究も多くは之に依つて居る。
就中(なかんづく)生物学には殊に必要であつて、ダーウインにこの力がなくば「種原論」は書かれなかつたであらう。たゞ要は想像力を適切に用ふると云ふ点にある。もし使用の方法乃至応用の時機を誤つたならば世人をして迷霧(めいむ)の中に入らしむるのみで却て害あつて益のないものとなる。それ故科学には想像力は恐るべきもの用ふべからざるものと説くものがある。例へば正宗の名刀の如きもの、之を使用する人によりては或は出刃包丁よりも役にたゝぬものとならう。ことに科学者が実験をなしつゝある場合には想像を働かせると観察を誤ることが屡(しばしば)である、かのゾラの小説ルーゴン・マツカール叢書の中にモデルにされて居る仏国の大生理学者クロード・ベルナールは、若い時脚本などを書いた位想像力の豊富な人であつたが、氏が常に戒めていふには「実験室に入る時は外套を脱ぐと同時に想像の衣をスツポリと脱ぎ捨てよ、実験を終へて室外に出る時外套をきると一緒に想像の着物を着よ」と。実験の際には想像によつて心の鑑(かがみ)を曇らせてはならぬ、事実を見謬(みあやま)るからである。たゞ実験の事実を一の纏まつた真理に導くには想像の力によらねばならぬのである。
こゝで勢ひイポセシス(仮説、臆説)のことを説かねばならぬ。仮説とはいふまでもなく想像によつて定めた考へであつて、之を事実によつて説明すれば定理(セオリー)となる。そこで面白いことにはニユートン自身がこの仮説を非常に恐れて居たことである。氏の著プリンチピアの中に
現象から演繹せられないものを臆説と名づける。臆説は其が形而上たると形而下たると又は神秘的起因を有すると又機械的なるとを問はず実験哲学に許すべからざるものである、実験哲学にあつては前提は現象から演繹せられ、帰納によりて始めて普遍的となる
と述べて居る。併しニユートン自身なりケプレルなりの発見は何(いづ)れもこの臆説から導かれたものである、ある人がニユートンにどうしてあの発見が出来たかと尋ねたとき「自分は自分の知らんと欲する目(※1)(もく)に確乎(しつかり)と自分の考へを向けたからである」と答へた。此(この)自分の題(※2)考へを熱中せしめるといふことは、取りも直さず色々の臆説を比較淘汰することに外ならぬので、かゝる臆説こそは真理発見の要素たることもはや疑ふべからざる所である。
パストールは免疫に関して「黴菌が一旦生体の中に繁殖すると、其(その)黴菌が自己に必要な養分を取り尽してしまふ故、二度目に同じ黴菌を其(その)生体に植ゑても養分欠乏の為め発育が出来ぬ、これが即ち免疫の原理である」と考へた。それが為彼の大天才を以てしてもそれ以上進み得なかつた。始めてベーリング及び北里氏が異なれる仮説のもとに、破傷風の被働的免疫に成功して、黴菌の侵入によつて体内に特殊の免疫体が生ずることが明かとなつたのである。
(※1)原文ママ。「題目」の誤植か。
(※2)原文ママ。(※1)の「題」がずれて印刷されたものか。
底本:『東京日日新聞』大正10年9月8日
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2009年2月2日 最終更新:2009年2月2日)