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学者気質(二) 観察力(2)

医学博士 小酒井不木

 科学的知識を増進せしむるには、観察の外に今一つ実験(エキスペリメント)がある。前に述べたやうに、帰納法によりて真理に到達すると同時に、演繹法によりて益(※1)(その)真理を確め、且其(かつその)応用の範囲を広めねばならぬ。それが即ち実験である。茲(ここ)にも優れたる才能が必要なことは言を俟(ま)たぬ。実験も広い意味に言へば一の観察法で、普通の観察の被動的観察なるに対し、能動的観察と言ふことが出来よう。
 下端の開いた導管を水の中に立てゝ、上方で空気の洩らぬ様活栓を動かすと、水は段々上方に昇つて来る。この水揚喞筒(ポンプ)の実際は、既に第十六世紀以前に知られたことであるが、この理由に関しては「自然が真空を悪(にく)む」からだと説明せられてあつた。ところがある時フローレンスの園丁どもが、この方法で非常に高い所へ水を揚げんとした所、水は卅二呎(フイート)の高さまでは来たが、それ以上はどう工夫して見ても上(のぼ)らなかつた。その頃、いつも新説を出しては世の中から容れられなかつたガリレオがこの事を伝へ知つて「自然は真空を悪(にく)むこと、たつた卅二呎(フイート)也」と、皮肉を言つて当時の所信を嘲つた。併し彼も其(その)原因を解決しなかつた。ところが彼の弟子トリチエリーはこの事実を捉へて種々(いろいろ)と考へて見た。其(その)結果これは空気の圧力によるのではないかといふ考へが彼の心に閃いたのである。即ち手に取ることの出来ぬ空気でも、実は目方があつて、其(その)目方が丁度卅二呎(フイート)の高さの水の重さと平衡する為であるまいかと考へ及んだ。
 そこで彼は一歩進んで「若し水柱が卅二呎(フイート)の高さで空気の圧力と平衡を保つならば、水よりも重い液体ならばもつと少い高さで平衡を保つに違ひない、水銀は水よりも十三倍重い、それ故自分の考へが若し正しければ水銀柱は約卅吋(インチ)で平衡を保つ訳である」と考へ、愈(※2)約一ヤードの一方の閉された硝子管に水銀を充(みた)し、これを拇指(おやゆび)にて抑へつゝ水銀を盛つた鉢の中に倒(さかさま)に立てた。水銀の中で拇指(おやゆび)を離した瞬間の彼の喜びは如何(いか)ばかりであつたであらうか。果して水銀柱は下つて卅吋(インチ)の高さで、ピタリと止まり、上方に所謂トリチエリーの真空を残した。かくて彼の考への正しきことが証明せられ(、)(※3)この時から喞筒(ポンプ)の原理が明かとなつた。
 パスカルはなほ一歩進んで、若し其(その)水銀柱が空気に依つて支へられて居るならば、高い所へ行く程其(その)上の方の空気の目方が少くなるから、水銀柱は下る訳であると考へた。そこで取りあへず、ヒユイ・ド・ドームの山上に登つた所、果して水銀柱は下り、山を降りると再び水銀柱の上るのを認めた。
 「欲窮千里目、更上一層楼」といふ唐詩がある。一層を上ることによつて非常に広大なる世界に打(ぶ)つかることが出来るのであるが、何がさて、百尺竿頭(ひやくせきかんとう)一歩を進めることはやはり偉大なる才能に依らなければならぬ。
 ハーヴエーが伊太利(イタリー)に留学した時、其(その)師のフアブリチウスから静脈内の弁に就ての実験を見せられた。其処で彼は一歩進んで、何が為に静脈にのみ弁が存在するであらうか、自然は不必要のものを造る筈が無いと考ふるに至つた。其(その)結果は遂に幾多の歳月の熱心なる研究によりて血液循環の理の発見となつたのである。
 フアラデーの「ヂアマグネチスムス」の発見も同様である。ブラグマンスは蒼鉛が磁針を反撥することを知つた。併しそれ以上進まなかつた。ル・ベイリフはアンチモニーも同じ性質のあることを認め、又シーベツクやベクエレルも同じ様なことを目撃した。而(しか)も彼等はそれ以上に進まなかつた。独りフアラデーに至つては、同じ現象を偶然認めるや、猛然として進み以てその一大発見を完了したのである(。)(※3)

(※1)(※2)原文の踊り字は「二の字点」。
(※3)(※4)原文句読点なし。

底本:『東京日日新聞』大正10年9月7日

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2009年1月30日 最終更新:2009年1月30日)