サー・ウオーター・ローレーが倫敦塔に囚はれて居た時のことである。ある日庭上(ていぜう)で見知らぬ二人の男が劇(はげ)しく喧嘩して居るのを獄窓から眺めた彼は、どちらが其の張本人であるかの見当がついたつもりで、牢番が来た時その事を語ると、牢番はローレーの言ふ張本人といふは全く罪の無い方で、而(しか)も重い傷を負はされたことを告げた(。)(※1)之を聞くや否や彼は、矢庭に振り向き様に机の上にあつた紙片(かみきれ)を火に投じて了(しま)ひ、そして言つた、「自分は実は今ある歴史を執筆中だが(、)(※2)現在眼の前の出来事をさへ見謬(みあやま)る様では過去の時代で、而(しか)も遠く隔つた国土に起つた事柄の真相を伝ふるなどは到底覚束ない」と。実際事物を観察して其の真相を捉へるとは頗る困難な業(わざ)である。アナトール・フランスが皮肉を言つたやうに顕微鏡は肉眼の誤謬を拡大するものだと言ふのも一面の真理と言はねばならぬ。吾人(ごじん)の観察は誠に欺かれ易く、また頗る怪しいものである。而(しか)も事物を正確に観察することは軈(やが)て科学の第一の条件に外ならぬ。画家のチヽアンは普通の人が一色を見る所に五千の色を区別し得たと伝へらるゝ程色彩に対する感覚が鋭敏であつた。而して物の観察は五官の感覚に始まるのであるから観察力は既に先天的に人々に相違のあることは否み得ない。
昔から優れた学者は何(いづ)れも鋭敏なる観察力の所有者であつた。書を読めば所謂眼光紙背に徹する底(てい)の鋭さがあつた。この観察といふ出発点が誤つたならば学問は成立しない。誤つた観察によりて得られた知識は嘘であり偽りである。而(しか)も其(その)虚偽な知識がいつまでも真正のものであると考へられて居る場合が尠(すくな)くない。コペルニクスの出る迄は地球が中心となつて天が動いて居ると人々は思つて居た。尤も既に希臘(ギリシヤ)の昔アリスタルコスは地動説を樹(た)てたけれども其の後再び地球中心の説が勢力を得て初めてコペルニクスに至つて動かぬ基礎が据られた。今日吾等が、あたりまへ(※3)の様に思つて居る知識も先人の尠(すくな)からざる努力を以て贏(か)ち得られた尊い賜物であることを忘れてはならぬ。血液循環の理は小学校の生徒でも知つて居るが、初めて唱へ出されたのは今より僅(わづか)に三百年の昔に過ぎぬ。劫初以来それまで人々はこの今日普く行き渡つて居る知識すら持たなかつたのである。而してそれが発見せられたのは英国の天才ハーヴエーの偉大なる努力と熱心とに依つたのである。発見せられて見れば訳のない様に思はれることで、而(しか)もその閾まで近づいて居り乍ら、其の閾から一歩を踏み出すことは容易に出来ぬものである。凡と非凡との区別は畢竟其の閾の隔りであらねばならぬ。
ベーコン卿は自然哲学の大革命者である。氏は初めて真理の探究法を組織的に叙述した。氏の主眼とする所は出来るだけ多くの事実を観察し、其の多数の事実から帰納法に依りて真理を導き出すといふのである。此の方法は現代の科学にも立派に応用せらるゝ所で、科学研究には全く欠くべからざる科条である。氏の私淑者なる名医シデナムは全くこの方法によつて臨床医学に一新機軸を開いたのであるが、シデナムに依ると病理を知るには、疾病を病床に於て出来得る限り精細に観察するに在りといふのである。疾病の臨床的観察が動(やや)もすれば疎んぜらるゝ現今にこの方法は是非共盛んにしてほしい。動物実験にのみ拘泥して病人の観察を蔑(ないがしろ)にしては、医道の真髄とは余程かけ離れて居る訳である。
コナン・ドイルの探偵小説の主人公シヤーロツク・ホルムスはドイルの師の何とかいふ有名な内科医をモデルにしたのであるが、其の医者は初めて患者を見るなり、「あゝ、あなたは靴直しさんですね」といつた調子で、患者をもまた学生をも驚かしたものである。亡くなつた青山教授もこの点に於てよく似て居た。青山先生は口癖のやうに「善良な観察者となれ」と言はれた。実際観察力が鈍くては良い医者となり難く兼ねてまた立派な科学者たることは出来ない。
(※1)(※2)原文句読点なし。
(※3)原文圏点。
底本:『東京日日新聞』大正10年9月6日
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1921(大正10)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2009年1月30日 最終更新:2009年1月30日)