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恋愛東西

小酒井不木

 恋愛術とは何か。Art of Love といへば、はゝんとわかつて下さるであらうが、念の為に、「愛経(カーマ・スートラ)」の著者ワ゛アーツチヤーヤナ Vatsyayana にきくと、「恋愛の術とは女子を喜ばしめる術なり」とある。これは頗(すこぶ)(※1)限局せられた意味に使用されて居るやうであるが、せんじつめて見ればやつぱり其処に帰するのであつて、さすがは苦労人のワ゛アーツチヤーヤナだなとうなづかれる。
 さて、女子を喜ばしめるためには形而上にも形而下にもむつかしい秘術のあるわけであるが、私はいまそのむつかしい術を読者に講義しようといふのではない。それどころか私には、さうした講義をする資格が全然ないのである。たゞ手許にある二三の書物を繙くと、いろゝゝ(※2)の具体的な術が記載されてあるので、そのやうな書物をまだ御覧にならぬ人々にいさゝか紹介の労を取らうといふに過ぎないのである。といつて、龍尾鳳翔などのいはゆる九勢の要術や、秋一無冬の誡語の説明を取り次ぐことは、到底許されないことであるから、たゞざツと、而も系 統的ではなしに、述べて行くことにするのである。
 かの、常陸帯の故事といひ、ゐもりの黒焼の偽説と言ひ、恋とうらなひ、恋とまじなひが密接の関係を持つて居ることはいまさら言ふだけ野暮である。「雪降らんとして群鳥争ひて求食(あさり)、風起らんとして釜星はびこる事、物の萠(きざし)は必(ひつ)としてあり、亀を焼て吉凶を占(うらなひ)、芦の灰に時候を知る、されば天運はさだまりありうたがふべからず」とは、「艶道通鑑」の著者残口が常陸帯について書いた一節である。「縁はいなもの味なもの」、相性の言ひ伝へは争はれないところであつて、これを紅毛人の説に(ちよう)(※3)するも、男性にも女性にも、それぞれ男性的分子と女性的分子が幾パーセントづゝ具はつて居るのであるから、両者のパーセントを合せて、両分子がそれぞれ一〇〇パーセントになるのが最も幸福であるべきである。そこで昔、常陸の娘さんたちが、みか(※4)の速神の御社へ詣でて、思ふ男の名を二つ三つ、みづからの帯二三本に書いてさゝげ懸(かゝ)げると、末の目出度き縁ある男の名を書いた一本だけが、必ず裏返つたのであるといふ。
 黄楊の櫛を持つて道祖神を念じ、四辻に出でわが思ふ事の叶ふや否やを占ふこと、これが後には、主として恋の吉凶判断に用ひられた。
   辻や辻四辻がららの市(いち)四辻
     うら正(まさし)かれ辻うらの神
と三ぺん唱へて、辻へまつ先に来る人の言葉によつて吉凶を占ふのである。黄楊は「告げ」に通ずるところから起つたといふことであるが、今では、夜寒の街を声高々に呼ばつて歩く辻占売りにその名残をとゞめて居る。
 擲銭は恋の吉凶を占ふに至つて重要な秘術であつた。寒い辻に出なくても、暖かい部屋の中で行ひ得るためであらうか、文銭を五文、手のうちにていぢりまはし、縦に五文をならべて、表即ち「寛永通宝」の文字ある方と裏即ち文の字のある方の出かたによつて吉凶を占ふのである。例へば「裏、裏、表、裏、裏」と出ると金白卦(きんぱくのけ)といつて、「此卦はわれより外にふかき男あれば心をつくし金銀をまきても、つゆほどもおもむきなし、文をやりてたまたま返事ありても実ならず、仲人のすゝめによりてむりにかゝせて取たる返事、此恋止てよし」とある。
 さん木を以てする縁結(えんむすび)の占事(うらなひごと)は、四角な拍子木のやうな木片の四面に、天運伺占の四文字を一面に一字づゝ順に書き、これを三度投げて、上の面に出た文字の配列により書物に照し合せて占ふのである。例へば三度とも天の字が出れば、「此縁は思ひあふたる中にて、よろづ心にかなふなり、早くよび取べし、夫婦中鳥の林に遊ぶがごとし」とあつて、まさに上々吉なのである。
 次には御符乃至秘符と称するもの。一枚の紙片にそれゞゝ(※5)一定の形状のものとその下へ「急急如律令(きふゝゝじよりつれい)」と書き、袂の下に入れると思ふとほりになるといふのである。夫婦あいきやうの御符、恋の叶ふ御符、人に思はれる御符、思ふ人を呼出す御符、手を切る御符などがある。ゐもりの黒焼を紙に包むで御符の代用とすることは周知の事実であるが、ゐもりの黒焼よりも一層効果のあるのは「鼠印(そいん)」だといふことである。正月元日、五月五日、十二月十二日に北に向つて子鼠から取りそれを乾かしたものを鼠印といふのである。
 まじないのうち、極めて秘すべきものとせられて居るのは文歌(ふみうた)である。吉夢を見たときや悪夢を見たときによむ文や歌であるが、いさゝか卑猥な文句があるので、こゝに書くわけにはいかない。
 恋のうらなひも、恋のまじなひも、要するに愛経の著者の云ふごとく、フイメール・セツクスの歓心を買ふべき一つの方法であるが、何といつても問題の中心は身体の力に帰するのであるから、恋愛術はやがて、恋愛衛生と密接な関係を持つて来るわけである。だから古来の「恋愛術」を説いた書物はいづれもアツペタイトの調節を力説して居る。オーヴイツドの名著にしても、「愛経」にしても、「黄素妙論」にしても、乃至は群百の養生訓や諸種の聖典までが、口を揃へて過度を(いまし)(※6)めて居る。この辺の委しいことは、ハヴロツク・エリスの「性の心理(サイコロジー・オヴ・セツクス)」第六巻に譲ることゝして、たゞ世の中には、体力がずばぬけて旺盛な人もあるといふことを言つて置きたい。フクスの「ジツテン・ゲシヒテ」を読むと、驚くべき例が記されてあるが、前記エリスの書中にも、マンテガツツアが記載した例や、ブールニヤールの著書の中の異例が引用されてある。
 けれども、さうした異例は、たゞ異例として珍らしがられるだけで、多くの人の現実にはあり得ない。ところが、隴を得たものは蜀を望みやすく、何とかして体力を旺盛ならしめようとした結果は、やがて薬剤の探求となり、又補勢の食物の研究となつたのである。さうしてその研究の最も隆盛を極めた国は何といつても指を第一に支那に屈しなければならぬ。支那料理として今日本人にめづらしがられて居る食物は、いづれも強精作用を多分に含んで居るのであつて、淡白な日本食は到底その塁を摩することが出来ない。
 肉食は一般に菜食に比して有効である。エリスはビーフテーキをもつて上乗のものとして居るが、鳥肉も敢てそれには劣るまい。むかしは雉の肉を最も効の多いものとしたけれど、果してそれが迷信的な言ひ伝へでないかどうかはわからぬのである。はじめて欧洲へじやがいもがアメリカから持ちこまれたとき、人々はそれを強精の作用あるものと見做した。
 が、それはたゞ珍らしかつたゞけのことで、じやがいもにはその作用はないのである。
 嗜好物として、酒と煙草は何(どう)(※7)やらこの方面に関係があるやうに思はれて居るけれど、それほどの効力はもつて居ない。ただし支那の蛇酒の如きは例外である。
 が、何といつてもこの方面に関係の深いのは阿片である。阿片は、時として、その少量に於て驚くべき効果を生ぜしめるものである。阿片の夢の喜ばれるのはさうした作用をともなつて居るからでもある。
 いづれにしても、支那人の恋愛術は、まことに到れり尽せりの観がある。
 世に媚薬と称するものがある。英語で云へばアフロデイジアツクである。
 これは体力の一般的増進ではなく、ある局限した力の増進をはかるものであるが、これがまた古来はなはだ沢山の種類にのぼつて居る。ヨヒンビンの名を、恐らく知らぬ人はあるまいが、これは西アフリカに産するヨヒンベーヘと称する樹の皮の有効成分であつて、まだその化学的構造がわかつて居ない。今、西洋の知名の化学者たちが、頻りにその研究に従事して居るが、これは別に現代の人士が媚薬を異常に要求するからといふわけではない。が、何といつてもヨヒンビンの効力は著しいものである。カンタリス即ち斑猫は中毒を起し易いから、媚薬としては上乗のものであつても、使用を恐れられて居るが、ヨヒンビンはさういふことがないので珍重がられて居る。
 神経衰弱者が殖えると、恋愛術ではなくて、一種の治療法として媚薬が使用されるけれども、それは何といつても恋愛的な現象である。
 巷間売り出すところの曰く何。曰く何。どうも困つた現象で、ヴアーツチヤーヤナやオーヴイツドなどが、地下で泣き出しはしないかと思はれる。
 媚薬といふ名称の中には、愛経の定義に基いた単なる外用の薬剤も含まれて居る。黄素妙論に記するところの緑鶯丹や如意丹の如きは即ちそれである。丁子、山椒、龍骨、明礬などが処方されて居るが、これ等のものの中には、よく考へて見ると、いはゆる姙娠調節的作用を有するものがある。御符の中にもさうした意味を持つものがあるところを見ると、姙娠調節も一種の恋愛術であるかも知れない。
 薬剤は主として化学的作用によつてスチミユラスを与へるものであるが、人間の遊戯心はさらに物理的なスチミユラスを与ふるものを工夫せしめた。
 かうなると、恋愛術は一種の堕落に陥つたものと見做すべきであるかも知れない。
 然し、さうした技術が、野蛮人にも用ひられて居るところを見ると、むしろ「原始的」である、といふ方がより適当であるかも知れない。
 フロイドは夢と性(セツクス)との関係を研究し、夢にあらはれる色々のものを一つのシムボルと見做して居るが、そのシムボルに似た形のものが、機械的の影響をあたへるものに使用せられて居るところを見ると、四ツ目屋の売品目録を、フロイドの手許へ送つてやりたい気がする。

 いやもう何だか話が変になつて来たから、恋愛術の紹介はこれくらゐで止めにして、心静かに残口先生の気焔でも読むことに致しませうか。

(※1)原文ママ。
(※2)原文の踊り字は「く」。
(※3)原文ママ。
(※4)原文圏点。
(※5)原文の踊り字は「ぐ」。
(※6)原文ママ。
(※7)読み仮名原文ママ。

底本:『新青年』昭和4年1月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1929(昭和4)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年5月26日 最終更新:2017年5月26日)