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心理学的探偵法

医学博士 小酒井不木

 探偵術には、あらゆる人智が応用されねばならぬことは今更言ふ迄もなく、実際、従来、新らしい知識が得らるゝ度毎に、すぐそれが探偵術に応用せられて来て、現今行はれて居る『犯罪の科学的捜査』は、現今の最も新らしい科学的知見が応用されて居るのである。
 見込捜査の時代から、科学的捜査に移つた現代に於ては、犯跡の科学的研究は、時には遺憾なき程度に行はれて居るけれども、犯人をして自白せしむる方法に至つては、見込捜査時代とあまり変らぬ方法が応用されて居るだけである。いふまでもなく犯跡の科学的研究の結果、動かぬ証拠を得て、之を犯人に示せば、ある程度迄自白を促がすを容易ならしめ、又たとひ犯人が自白せずとも、法律上の所謂直接証拠をさへ挙げ得れば、嫌疑者の罪は明かに定(き)まるけれども、時には科学的研究の結果単に状況証拠を得るに留まり、嫌疑者で十中八九迄はたしかに真犯人であらうと推定せられても、自白せざる限り、その罪を定めることが出来ぬ場合が少くない。
 むかしはかゝる場合、屡々『拷問』が応用された。拷問とはいふ迄もなく、嫌疑者に、肉体的の苦痛を与へて、自白を促がす方法であつて、その方法は如何にも野蛮的であるのみならず、時には無辜のものが、苦痛に堪へ兼ねて、犯さぬ罪を白状することがあると同時に、真犯人であり乍ら、たとひ苦痛のために死に至るもなほ且無罪を主張してやまぬことがあるので、現今では何れの国にあつても拷問は禁ぜられて居るのである。が、それにも拘はらず時には警察で拷問に類したことが行はれて、世間から非難さるゝことは読者のよく知つて居らるゝ所である。これ畢竟嫌疑者の心情を検査する科学的方法即ち心理学的探偵法がないからで、科学的探偵法が比較的完全な発達を遂げたに拘はらず、心理学的探偵法があまり発達して居ないといふことは、頗る遺憾に堪へないのである。

 然らば果して、人間の心が、科学的に即ち客観的に検査し得るものであらうか? といふ疑問が読者の心に浮ぶであらう。如何にも人間の心の状態を直接計測したり、又は人間の隠して居る観念を直接暴露する方法はなく、恐らく未来永劫かゝる方法はなからうと思はれる。然し乍ら、心は肉体を離れて存在せず、心に起る変化はある程度迄肉体にあらはれるものであり、又心の現象も、自然の現象と同じく、ある程度迄一定の法則に従ふものであるから、肉体にあらはるゝ現象を計測し、又は心理的現象を精密に観察したならば、心の状態又は隠されたる観念を間接に知ることが出来るわけである。
 従来の心理学は主として理論的研究に限られて居たが、輓近実験心理学の発達によつて、心理学は教育、工業、商業、医学、芸術等あらゆる実地的方面に応用さるゝに至り、探偵術にも等しくその応用を見んとする傾向を示して来た。そしてかのハアーヴァード大学の教授をして居て先年故人となつた独逸人ミュンスターベルグ博士は、この方面の研究の結果、犯人が自白しない場合、実験心理学的方法によつて、犯人の隠して居る観念を知ることが出来ることを証明し、所謂心理学的探偵法の一種を提唱したのである。その委細は氏の著書(Hugo Muensterberg: on The Witness Stand. N. Y. 1908)の中に述べられてあるが、その原理は極めて簡単であるから左に之を説明して見ようと思ふのである。尤も、この方法は後に述べるやうな欠点があり、従つて、まだ実地に応用されて居ないけれども、兎に角、今後発達すべき心理学的探偵法の最初の階段とも見るべきものであるから、之を述べるも強ち徒労ではあるまいと思ふ。

 ミュンスターベルグの提唱した心理学的探偵法は之を三様に分つことが出来る。第一の方法は『心内(こゝろうち)にあれば色外(いろそと)にあらはる』といふ諺に示されて居る原理を、実験心理学的に応用したものである。喜怒哀楽の諸情が、所謂表情運動となつて身体の色々の部分に現はるゝことは周知のことであつて、たとひ意志の力によつて内心の興奮をある程度迄外部に表はさぬやうにすることが出来ても、凡ての表情運動を抑制することは至難である。例へば、ダーウインが言つたやうに、飢ゑた人に美味を見せたとき、取つて食べようとする動作を抑制することが出来ても、唾液や胃液の分泌を抑制することは至難である。同様に内心に興奮を感じたとき、心臓や呼吸の運動に現はるゝ変化を抑制することもまた多くは至難といはなければならない。
 罪を犯したとき、殊に殺人を行つた場合の如き、犯人の多くは非常な内心の不安を感ずるのであつて、(拙稿『殺人論』のうち『探偵総論』参照)時には被害者の名を聞いたゞけでも内心に激烈なる興奮を感ずるものである。昔の名判官などは、この犯人の急所に触れるやうな言葉を発して、犯人は如何なる反応を起すかを観察したものであるが、外部から肉眼で観察し得らるゝやうな肉体的の変化は、よほど強く犯人の急所を抉つた場合でなくては起らないのである。
 然し乍ら、肉眼ではわからぬ変化でも一定の器械を用ふればよく之を観察することが出来る。そこでミュンスターベルグは一定の器械を使用して、犯人の情緒の変化を観察し、罪の有無を判断する方法を提唱したのである。例へば被検者の両手に電池の両極を握らせ、電線に電流計を結び附けて置く、然る後その人の急所に触れるやうな言葉を発すると、真犯人ならば之を聞いて所謂、手に汗を握る。その時汗の分泌が、肉眼では見えぬ位の少量でも、電流に対する抵抗を変ずるには十分であり、従つて、電流計の指針が動き、内心の興奮を間接に知ることが出来るのである。又、同様にして呼吸計、脈搏計を用ふれば、興奮のために生ずる呼吸、心臓の微妙なる変化をも観察することが出来るのである。そこで例へば茲に、ある殺人犯があり、彼に共犯者があると推察せられたとき、その共犯者と覚しき者の写真を多くの写真の中に混ぜて見せたとする。その時被検者が口では『知らぬ存ぜぬ』と否定し乍ら、電流計又は脈搏計に著しい変化があらはれたとすれば、その写真の主は彼の共犯者と認めても恐らく差支なからうといふのである。

 ミュンスターベルグの提唱した第二の方法は観念聯合作用即ち聯想作用の障害の原理を応用したものである。それ故、この方法を理解するためには先(ま)(※1)聯想作用の何ものであるかを知つて置かねばならない。
 観念聯合作用とは一つの観念から他の観念を聯合する機転であつて、例へば犬といふ観念から猫といふ観念を聯合し、花といふ観念から香(にほひ)といふ観念を聯合するが如きこれである。この観念聯合作用の法則に関しての研究はアリストテレス以来、あまり進んで居らぬのであつて、犬から猫を聯想するごとく、物の形状の相似から聯合する場合、白から黒を聯想するごとく相反の観念を聯合する場合、鑿から鎚を聯想するごとく、常に同時に存在する理由によつて聯合する場合、石炭から焔を聯想するごとく因果の関係によつて聯合する場合などがある。
 一つの観念から聯想さるゝ観念は各人によつて異なるばかりでなく、同一人に於ても時によつて異なることはいふ迄もない。例へば『光』といふ観念からして、甲は『暗黒』、乙は『蝋燭』、丙は『相対性原理』(、)(※2)丁は『空』、戊(ぼう)は『明日』を聯想するがごときこれである。ところで、精神病に罹ると、この観念の聯想作用に変化障害の起つてくることが、従来多くの精神病学者によつて観察された。即ち例へば前記の法則に従はずして、如何なる観念からも常に同じやうなる観念を所謂強迫的に聯合するが如きこれである。強迫的な観念聯合作用に就ての例として、こんな逸話がある。西洋の話であるが、むかしある青年が、ある魔法使を訪ねて、錬金術の伝授を請うた。すると魔法使は快く承諾して、その方法を詳しく説明し、そして最後に、錬金術を行つて居る間決して『犀』の事を考へてはならぬ、若し犀のことを考へれば必ず不成功に終ると言ひ聞かせたのである。青年は之を聞いて、犀といふ動物はまだ見たこともないから、決して考へる筈はないですと答へ、家に帰つて早速錬金術に取りかゝつた。すると、数週の後、件の青年はその魔法使を訪ね、「教へて頂いた通りにやつて見ましたが、いつも犀のことを思ひ出すので、どうしても成功しません』といつて嘆息した。
 このやうに、心に強い印象を与へた観念はともすれば、聯合されやすいものであつて、精神病者ならずとも、罪を犯したもの、ことに殺人を行つたものなどは、殺害時に印象された事物を何かにつけて思ひ出し易いのである。この関係を応用してミュンスターベルグは、犯人であるか否かを探偵する方法を提唱したのである。即ち、犯人に多数の言葉を読み聞かせ、その中に犯人の急所に触れるやうな言葉を入れて置いて、一つの言葉を読み上げる度毎に、其の言葉から聯想した最初の観念を語らしめ、それと同時に一つ一つの言葉を読み上げて、被検者が聯想した言葉を語る迄の時間をある特別の装置によつて計測するのである。計測に用ふる器械の原理は、被検者の唇の間に、ある種の電気的装置を施し、発語のため唇が動くと同時に、電流が時計を流れて微妙な時間をも知ることが出来るのである。かうすると、犯人の急所に触れた言葉に対する観念聯合の時間は急所に触れない言葉に対する時間よりも著しく長くなるのである。例へば今短刀を以て殺人が行はれたとき、その犯人嫌疑者に月、家、花、船、血、山、犬、短刀といふ言葉を読み上げたとする。すると被検者が真に犯人であるならば、月、家、花、船、山、犬といふ言葉に対しては、それゞゝ(※3)例へば日、戸、葉、汽車、川、馬と答へ、答へる迄の時間は大方一定して居るが、血とか、短刀とかいふ言葉に対しては、うつかり下手なことを言つて疑はれてはならぬと考へるために、それだけ余計の時間を要するのである。それのみならず、時間の遅延は時として急所に触れた言葉の次の言葉、例へば前記の血の字の次の山の字の時にも見らるゝものである。更に又、一定の時間の後、前記と同じ配列の言葉を読み聞かせると、犯人であるならば、何ともない言葉に対しては、前の場合と同様に、日、戸、葉、汽車、川、馬と答へるが、急所に触れた言葉即ち血、短刀に対しては、前に聯合した観念と異なつた観念を答へるのである。例へば前に血といふ言葉に対し戦争と答へたとすると、今度は別の言葉例へば手術と答へるが如き是である。蓋し、悟られまいとして考へるために、答の変化が起る訳である。

 ミュンスターベルグの提唱した第三の方法は、犯罪の行はれた現場の光景を記述しその所々を抜いて、嫌疑者に読み聞かせ、一定の時間の後、その嫌疑者をして、聞いた通りの現場の光景の記述を繰返さしむるのである。すると、若し嫌疑者が真犯人であるならば、現場の光景は印象が深く、且よく知つて居るため、記述を繰返す際、自然に、態と省かれた部分までを明かに述べることになるのである。従つて被検者が犯行の現場に居合せたといふ証拠を握り得るのである。
 以上、記述した心理学的探偵法は心理学実験室に於ては確かに成功して居るが、之を実地に応用して、果して間違ないかどうかは頗る疑問とされ、ミュンスターベルグのこの提唱を非難する人が少くない。その非難の点は、無辜の人でも法廷とかその他改つた場所では、手に汗を握つたり、心臓の鼓動の劇しくなるものであつて、又、血とか、短刀とかといふ言葉から観念を聯想する時間は、無辜のものでも遅れ勝になり易く、之と反対に、真犯人であつても先天性犯罪者たる性質を有する冷血性のものは、いかに急所に触れても決して反応をあらはさぬことである。それ故デ・キロスはその名著『輓近の犯罪学説』の中に、このミュンスターベルグの提唱した方法を批評して、『ミュンスターベルグの提唱した方法は古来行はれた拷問に代るべく考案せられたものであるが、之によつて判断さるゝ結果は、拷問と等しく、無辜のものを罪に陥れ有罪者を逸するやうなこともある』と批評して居るのである。従つてこれ等の方法が実地に応用さるゝのは将来のことであるが、兎に角心理学的探偵法の最初の階段を形づくるものと考へて差支なく、これ等の方法を基礎として、今後の心理学的探偵法は追々発達して行くであらうと思はれる。
 実地に応用されたことがないためか、探偵小説に、これ等の方法を取り扱つたものは極めて少なく、たしかメリー・ロバーツ・ラインハート女史の The Window at the White Cat. の中に、前記の観念聯合作用の障害を応用した心理学的探偵法が少し書かれてあつたやうに思ふが、今後の探偵小説には時々取り扱はれるやうになるであらう。

 心理学的探偵法といへば単に上記の方法のみならず、かのフロイドの創唱した精神分析法を応用した探偵法などもこのうちに属するものである。アーサー・リーヴの探偵小説『夢の医者(ドリーム・ドクター)』の中には、夢を分析して、犯人を探偵する物語が取扱はれてあつて、『人は自分の希望することを夢に見る』といふフロイドの原理を応用して探偵することが書かれてあるが、この夢の分析を探偵術に応用せんとする企(くはだて)は、この四五年来研究され、グロースの著『予審判事便覧』の最新版の中にも論ぜられて居る。然し、この夢の分析も、正確に夢を語り得ざる限り、分析もなし難い訳で、検者が、被検者の寝ごとなどを、ぬすみ聞いたやうな場合に初めて可能であるに過ぎないから、到底一般の場合に応用することは出来ないのである。
 なほ催眠術の応用の如きも茲に述べなければならぬが、それ等は他日に譲らうと思ふ。

(※1)原文ママ。
(※2)原文句読点なし。
(※3)原文の踊り字は「く」。

底本:『新青年』大正13年1月増刊号
※入力に使用したコピーの一部に数行に渡って判読出来ない箇所があったため、『殺人論』(京文社・大正13年9月10日発行)中の本文を参照して補った。

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1924(大正13)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年4月14日 最終更新:2017年4月14日)